秀ノ山親方(笠置山)が昭和37~38年に
相撲協会機関誌「相撲」誌上に
連載していた〈楽雅記四十八手〉
その第10話では裾取も取り上げられましたが…

~~~~~~~引用箇所↓~~~~~~~

ベースボールマガジン社「相撲」
〈楽雅記四十八手〉第10回

裾取は防ぎ手として用いる場合と、
はっきり攻め手として使う場合とがある。
投を打たれたとき、相手の引足が十分でないとき、
倒れながら相手の引足の足首(外くるぶしのあたり)
に手を伸ばして取り、体をあずけると相手が倒れる。
また、自分が投を打って
相手が足を出して倒れまいとしたとき、
その足首を掌で取って倒す場合がある。
戦前の出羽湊(現浜風)は巧かった。
これは投と足首を取るのが積極的であるため、
この場合は裾取として極まり手とする。
反対に投げられたときに防ぎとして足首を取ったときは、
攻めというよりも防ぎが主であるし、
体をあずけているのが主になるので、
はっきりと足首を取っただけで勝負がついて
いないときには寄倒か浴倒となって、裾取とはしない。
二代目出羽湊(現藤島主事)もこの手をよく用いた。

~~~~~~~引用箇所↑~~~~~~~

「相手に投げを打たれた時の
“防ぎ手としての裾取り”は、決まり手を〈裾取り〉とはしない」
「自分が投げを打って、相手が出した足首を取る
“攻め手としての裾取り”のみを、決まり手〈裾取り〉とする」

その“あんまり”な内容に唖然としてしまいました。

何故なら、同誌で5年前に彼が連載していた、
「相撲技七十手」の「裾取り」の内容↓と
“真逆”の事を言っているからです。

~~~~~~~引用箇所↓~~~~~~~

ベースボールマガジン社「相撲技七十手」〈裾取り〉

この手は前述したように、どちらかというと、
決め技として用いるよりも、補助的に使用されたり、
防ぎに使用される方に重きをおかれているようである。
たとえば、相手から右上手投げを打たれたとすると、
左差しで右足を踏み込んで残す上体は前に大きく
傾いている。そのとき、相手の左足の引きがたらずに
目の前にその足があるとすれば、自分の右手を伸ばして、
相手の左足首を取って、引くと同時に体を押しつけると、
相手は足をさらわれるので横倒しとなる。
これは上手投げを防ぎながら攻めて勝ったことになる。
下手投げでも小手投げでもよく、
いずれにしても投げられたり、巻かれたりしたときに、
手を伸ばして投げの方向の相手の足首を外側から取って
倒すと裾取りとなる。これは防ぎながらの裾取りである。
ただ、手を伸ばしたときに相手が足を引くと、
かえって自滅することになる。
もう一つは、こちらが下手投げでも上手投げでも打つと、
相手は足を前に運んで防ぐ、その足首を外側から取っても
裾取りとなる。これは防ぎではなく、投げの補助として
裾取りが用いられたのである。現在、この場合は決まり手
としては裾取りとせず、上手投げとか下手投げにしている。
防ぎの場合のみを裾取りとしたのは、
攻めの場合は上手投げか下手投げ等の一つの技が
掛けられているので、それを重く見て決まり手とし、
防ぎの場合は、他になんの技も用いられないので、
防ぎの裾取りで倒したのを決まり手とした。
先代の出羽湊は初めから、裾取りをやるつもりで
軽く投げを打ち、足を出すのを予測して、
出したらそれを取って倒していた。
こんな方法で用いられると、
攻めのときでも裾取りの決まり手としなければならなくなる。
現在の力士ではそこまでこの手を使いこなす者はいない。

~~~~~~~引用箇所↑~~~~~~~

こちらは
「攻めの場合は、こちらが投げを打ち、
その投げの補助としての裾取りなので、
決まり手としては投げを重く見て“裾取り”とはしない」
「防ぎの場合は、他になんの技も用いられないので、
防ぎの裾取りで倒した場合のみを決まり手“裾取り”とした」

全く逆の事を言ってます。

笠置山は決まり手の制定者であり、
ましてや〈裾取り〉は、彼が自ら作った決まり手なのに、
この方針のブレは酷いですね。

尤も…文意としては、笠置山が錯乱していると取られても
仕方ないのですが、
彼が言わんとする細かいニュアンスを汲み取ると、
笠置山の中ではそれなりに答えはしっかりあって
彼自身が混乱している訳ではないのだと感じられます。

つまり「攻めの裾取り」と「防ぎの裾取り」の
二項対立で語るのが間違いなのであって…

まず笠置山をして間違えさせたおおもとが、
戦前の出羽湊がやったという
「裾取りをやるつもりで軽く投げを打ち、足を出すのを
予測して、出したらそれを取って倒していた」という〈裾取り〉
これは“攻めの裾取り”だが、例外的に決まり手は〈裾取り〉
なぜなら餌蒔きの投げが“従”で、飽くまで“主”は裾取りだから。
最高の名手、戦前の出羽湊の裾取りのイメージが
笠置山の中に強くイメージされているために、
本来なら、攻めの裾取りは、
決まり手〈裾取り〉にしないのが笠置山の方針だが、
例外的に出羽湊のは攻めの裾取りでも、
文句なしに裾取りにしたい形だったから、
これが頭にあって〈楽雅記四十八手〉では
「“攻め手としての裾取り”のみを、決まり手〈裾取り〉とする」
と、本来の方針である「相撲技七十手」とは逆の事を
言ってしまった。

一方、戦後の出羽湊は
「相手に投げられた時の“防ぎ手としての裾取り”」であり、
これは〈楽雅記四十八手〉の文脈では裾取りにはならず、
「相撲技七十手」の文脈では絶対に裾取りになる。
戦前の出羽湊の場合とは違い、
もろに結果が逆になる悩ましいポイント。
相撲レファレンスで見ると…

出羽湊の決まり手
(相撲レファレンス)http://sumodb.sumogames.de/Rikishi_kim.aspx?r=3934&l=j

裾取りの決まり手を一回も出していないので、
これは「楽雅記四十八手」の方が正しかったと言う事に
なるのかも知れないが、決まり手制定前の取組が多く、
そこで裾取りをやったかも知れないので何とも言えない。
「相撲技七十手」では“防ぎの裾取り”は問答無用で
裾取りの決まり手にすると言っているのに、
「楽雅記四十八手」では、“防ぎの裾取り”は2つに
分ける考え方を表明しており、
体を相手に預けている場合は浴びせ倒しや寄り倒し
を採用して裾取りにはしない。戦後の出羽湊のは
これに当たる。しかし体を預けていない時には
“防ぎの裾取り”でも裾取りを取る。

一方“攻めの裾取り”でも
戦前の出羽湊の様な餌蒔きの軽い投げではなく、
ちゃんと投げを打つ場合については、
「相撲技七十手」では投げの方を取ると明言しているが
「楽雅記四十八手」では文脈上、何の問題もなく
裾取りの決まり手になると解釈出来る書き方を
してしまっている。

つまるところ、細かく読んで行くと
「相撲技七十手」と「楽雅記四十八手」の記述の中に、
計4種類の“裾取り”が登場するが…

①軽く投げを打つ、戦前の出羽湊の“攻めの裾取り”
②強く投げを打つ“攻めの裾取り”
③体を浴びせて倒す、戦後の出羽湊の“防ぎの裾取り”
④体を浴びせない“防ぎの裾取り”

①は「相撲技七十手」「楽雅記四十八手」両方で裾取り○
②は「相撲技七十手」では裾取り×「楽雅記四十八手」では○
③は「相撲技七十手」では裾取り○「楽雅記四十八手」では×
④は「相撲技七十手」「楽雅記四十八手」両方で裾取り○

実際には、笠置山の中では①と④は文句なしに裾取り。
②は投げの方を取り、裾取りにはしない、
〈楽雅記四十八手〉でもそれらしい事をちょっと匂わせていて…
「(戦前の出羽湊の裾取りは)投と足首を取るのが積極的で
あるため、この場合は裾取として極まり手とする」
多分「積極的」は“足首を取る”だけに掛けた言い方を
したかったのを、言い方を誤ったのでしょう。
なので②は〈楽雅記四十八手〉では実質的に言及なし。
でも言葉足らずのため大誤解を読者に与える悪文。
③は「相撲技七十手」を書いた昭和32年時点では、
文句無しの裾取りだったのに、
5年後の〈楽雅記四十八手〉時点では
心変わりして裾取りを取らず浴びせ倒し、
寄り倒しを取る方針に変わった。

…そんな風に考えております。