決まり手を研究する上で、私が今、
無視出来ない存在だなと思っているのが、
後に出羽海となった両國。

【両國梶之助(國岩)】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E5%9C%8B%E6%A2%B6%E4%B9%8B%E5%8A%A9_%28%E5%9C%8B%E5%B2%A9%29

昭和初期の角界の最高実力者。
笠置山の師匠。
彦山光三氏に一連の相撲技をレクチャー。
現役時代は業師…反り技や一本背負い、
足取り、褄取りをやり、
恐らく現在の三所攻めに当たる技もやっていた。

そして最近思ったのは、この方は大坂相撲にいました。
猫又三吉を見てますよね。しかも猫又とこの両國は
相撲のタイプが似ている。
同じ小兵でも玉椿の様に食い下がって動かないタイプではなく、
動き回り奇手を繰り出すケレン相撲。
反り技、一本背負いを得意とするところも一緒。

昔の相撲技の呼び名の知識もいろいろ持ってたはずです。
大坂特有の言い方なども。

大坂相撲で活躍していた両國(当時の四股名は“國岩”)は、
明治36年1月場所に幕内付出で東京相撲初出場、
“両國梶之助”と名を改め、
新入幕の太刀山と対戦して勝利しました。

「相撲と野球」昭和18年3月1日號
〈近世名力士物語 ~両國二代の巻~〉白圭散史



「古い人から聞いた話では、両國は太刀山の鐵砲をはづして
逃げ廻っていたと思ったら、矢庭に飛込んで左手を外枠にして
右差しで寄ったから、太刀山の體がズルズル下がって土俵際へ
詰る時分には両國の左手は太刀山の足を抱へるやうにしていた。
さうして愈々(いよいよ)土俵際になったら、両國はそのまま體を
反して(磯の浪枕と云った形)寝るやうにしてモタレ込んだから
太刀山は取られた足を預けて振出すこともどうする事も
出来なかったのださうである」

明治の好角家は“磯の浪枕”の様な名称を普通に
使っていた様です。彦山175手の〈波枕〉は両手で片足を
抱えて寝る技ですが、この“磯の浪枕”は片手。

彦山さんもこの両國からレクチャーされるうちに、
こういう昔ながらの用語を沢山聞いたのかも知れません。