テニスボールの歴史について前々から気になっていました。
疑問が多すぎて…
具体的にいうと1906~1908年当たりの、
ウィンブルドンやオリンピックで使用されたテニスボールは、
今のテニスボールと比べてどの程度、弾みが悪かったのか…
今の私の一番の気がかりはそこですね。分からない訳です。

昨日、別の調べものをしていたら、
たまたまボールに関する驚くべき記述を見付けました。

「硬球軟球テニスの仕方」1924(大正13)年 著:針重敬喜 アルス
退息所
「ボールは普通のゴム球(→軟球)よりは層の厚い其上に
白い羅紗(ラシャ)を被せたもので、重量は二オンス、
乃至二オンス十六分の一を標準とし、
大きさは直径二吋(インチ)十六分の九より二吋二分の一の間と
規定されてをります。そして華氏六十八度の時百吋の高さから
コンクリートの地上に落した時のバウンドが、
最少四十五吋最大六十吋の高さに撥ねばなりません。
なかなか厳格に規定してあります。
内地製のものには到底此の規定に従ひ得るやうなものはありません。
止むを得ず現在では舶来のものを使用して居ります。
舶来にも英國製米國製とありますが、
現在最も普通に使用されて居るものは米國製であります」

球の弾力についての規定が1924年当時、既に存在していた事にびっくりしました。

私は以前にこんな記事を書きました。
……………………………
テニスの公式試合で使用されるボールは、254cmの高さから
rigid surfaceの上に落とした時のバウンドが
134.62cm以上147.32cm以下でなくてはならないとされています。
(参照:ウィンブルドンの公式ボールメーカーであるslazengerのHP
http://www.slazenger.com/wimbledon/ )

このrigid surfaceとはコンクリートの事だそうです。
(参照:楽しむテニスバカ人生…priceless!!)http://blog.livedoor.jp/norrri_kanai/archives/50358850.html

このルールが定まったのは1965年か。
(ITF Tennis)http://www.itftennis.com/technical/rules/history/

1965年当時のテニスの公式試合は芝生主流なのに、
なぜボールのバウンドテストを
芝生ではなくコンクリートの上で行ったのか、よく分かりません。

実のところ、私が知りたいのは
1914年当時のテニスボールの弾み方がどの程度だったのか、
なんですが…これはまだ分かりません。
……………………………
現在の数値「254cmの高さから、コンクリートの上に落とした時のバウンドが
134.62cm以上147.32cm以下」

この…254㎝つまり2.54mですが、これはズバリ100インチの事なのです。

インチ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%81
「現在は1インチ=0.0254メートルと定められている」

しかも「華氏六十八度の時」というのは、気温20度の事なのですが…

華氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E6%B0%8F

(楽しむテニスバカ人生…priceless!!)http://blog.livedoor.jp/norrri_kanai/archives/50358850.html
「254cm(100インチ)の高さからコンクリートに落下させたときのバウンドの高さが
134.62cm~147.32cm(気温20℃、1気圧、湿度60%の条件下)」

つまり大正13年の「硬球軟球テニスの仕方」に記述されている
バウンドの測定の仕方
「華氏六十八度の時百吋の高さからコンクリートの地上に落した時のバウンドが、
最少四十五吋最大六十吋」
というのは、現在行われているバウンド測定の方法と全く同じなのです。

ただ、当時はボールの質を統一させるのが今より困難でしたので、
規定の数値が現在より少し幅広く取られています。
「四十五吋」は2.54㎝×45=114.3㎝ 「六十吋」は2.54㎝×60=152.4㎝

…1924年当時において既に
現在とそんなに変わらない弾力のボールが使われていた事に驚くのは
私だけでしょうか。
なんと“上限”は152.4㎝ですから現在の147.32cmよりも高いのです。

下限が114.3㎝なのは、地域差などを考慮した結果“致し方なく”
つまりテニス後進国に配慮しての事に違いないのであって、
上限が現在よりも高く取られているのは注目に値します。
つまりテクノロジーの面では、既に現在と弾力が変わらないボールを
作る技術があったということではないでしょうか。

当時の世界テニス連盟は、ボールの質の統一に腐心していたはずであり、ならば
天井知らずの上限を設けようとしたはずはありません。
むしろ“最先端”のスラセンジャー等のメーカーが、
テニス後進国に著しい差をつけないよう、彼らの頭をおさえる方に作用したと
私は考えます。つまりスラセンジャーは、当時既に、現在の規定上限よりも
弾むボールを製作出来ていたのではないかと思うのです。
だとすれば驚きですけど。

以上の点から、私は巷間云われている次の様な説に、やや疑問を感じています。

History Of Tennis Balls - Who Invented The Tennis Ball?
(How-2-Tennis)http://www.how-2-tennis.com/history-of-tennis-balls.html
It wasn't until the late 1920s that balls began to be pressurized. This was a great advancement in tennis as balls bounced higher, better, and tennis shots became faster.
「“プレッシャーライズド”式のテニスボールが1920年代後半に発明された。
これによりテニスボールは格段によく弾む様になり、テニスのショットのスピードが上がった」

…そう言われるのですが、
先ほどのバウンド規定が1924年に存在していた事を考えると
「本当かな?」と思わずにはいられません。

大体私は「プレッシャーライズドボール」というのがよく分かりません。
それが1920年代末に出来たというのなら、それ以前は全て
「ノンプレッシャーボール」だったと言うのでしょうか?

しかし「ノンプレッシャーボール」の方が後発だというのをどこかで読んだ
記憶がありますし…とにかく全てがよく分かりません。