(メール受信日時:3月2日 21時19分)
坪田@札幌です。
2件分まとめていきましょう。
>> 曾我物語屏風…古いものはたぶん「國華」あたりに
>>載っているのではないかと思うんですが、
>>何しろ全然見ておりませんので、
>>大雑把に言えば、もう少し端麗な感じがします。
>「國華」……全然知りませんでした。
>探してみます。
「國華」は美術品ばかりを載せた大判のカラーグラフなんですけど、
私も近場ではなかなか見る機会がもてません。
北大にはあるんですけど、附属図書館ではなく文学部にあって…
>> 神奈川県の曾我物語屏風は、
>> 作者や制作年代は残念ながら知らないんですが、
>> 恐らく遡っても元禄どまりだと思います。
>> というのは、丸い土俵が元禄あたりに発生したと
>>みられるからです。
>なるほど。坪田さんぐらいになると、そういう所で
>たちどころに判断出来てしまうんですね。
>確かに太い土俵がうっすらと描かれてますね。
浮世草子の挿絵を見ていると、貞享と元禄の間で境目があるようで、
古くは俵が四角く並んでいて、新しいほうは俵が丸く並んでるんですね。
>あの作品の作者や制作年代については
>全然分からないままでしたので
>助かりました。
>それにしても、
>「言わんでもの記 6 Kawadzu-gake?(上)」
>http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/iwandemonoki/iw06.html
>「言わんでもの記 7 Kawadzu-gake?(下)」
>http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/iwandemonoki/iw07.html
>面白かったです。
>新たな疑問がたくさん出て来てますよね。
なかなか楽しいんですよ。
皆さん好き放題言っていますから。
>(上)だけでも
>★木村守直は何故「一本立」の別名「河津繋」とその謂れに
>ついて相撲伝書では触れなかったのか?
厳密には相撲伝書の中でも触れてないこともないんですよ。
#「本朝相撲之始」の一節
ところが…「河津、俣野が上帯むずと掴て、前へ曳寄セ、馬手へまはし、
目より高ク差揚たれば、俣野足をさしのべ、河津が股に繋ける」なんで、
通常言われているシナリオどおりで、
無論河津掛けだなんて一言も言ってません(笑)
>★「曾我物語」を否定してまで「河津が繰り出したから河津繋」説
>を主張する木村守直…その根拠は何か。
根拠はありません。
たぶんですけど、河津掛けなのに河津が足を掛けたわけではないから
実態に合わない、というだけでしょうね。
>★「相撲強弱理合書 上」に載っている「筋違繋」って一体?
やってることは同じようです。
図を見ても、特段の違いは認められません。
ただ、強いて挙げれば、河津のほうは掛けられると身動きならず
疲れて負けると書いてあって、すじかいがけのほうは掛けた足を
はね上げるって書いてあるぐらいのものです。
前者のほうは掛けている状態を言っているだけ?という可能性もなくはないです。
>★「古今相撲大全」の言う、上古からあったという「蛙がけ」は
>どんな技?
これは見事にブラックボックス、迷宮入りですね。
どこにも具体的には出てきません。
>>第1巻の凡例には、
>>当時の新聞・雑誌から採った旨の記述があるはずです。
>>2巻以降にはなんにもないんですけどね。
>あっ「近世日本相撲史」の決まり手は
>新聞・雑誌から採ったんですか。
>では「拡声器で場内発表した」決まり手は、
>協会がそれほど重視してなくて
>記録にも残ってないんでしょうね。
これが今となっては分からないんですね。
国技館がGHQに取られたときに資料をドサドサと捨てたという話があるんで、
紛れて失われているかもしれない。
この時期の年寄浜風の動向さえ現在ははっきりしていない状況にありますし…
>>>鏡岩が男女ノ川に決めた「居反り」…
>>>まあ、あんなもんかなと想像はしてましたが(笑)。
>>打っ棄りの頭突っ込みバージョンですね。
>>でも智ノ花がやった居反りには確かに近い。
>あの取組の決まり手を「居反り」にすると言うのは、
>現在の82手における「居反り」の感覚に近い感じですよね。
>今なら「居反り」ですけど、
>当時の相撲書で示されている「居反り」の
>定義というのは、
>しゃがみこんで両手で相手の両膝を撥ね上げる
>技ですよね。
>笠置山が昭和32年当時に「相撲」に連載していた
>「相撲技七十手」の居反りも古い方の居反りの解説です。
>尤も70手制定により
>反り技が5手になってしまいましたから
>鏡岩や智ノ花が見せた様な格好になれば
>デモシカで「居反り」にせざるを得ない、
>というのは分かるのですが、
>鏡岩の時は70手に縛られなかった訳だから、居反りではなくて
>別の反り技があったのではないかなと言う気もするのですが。
智ノ花のときは確か決まり手係が下手捻りと迷ったはずですね。
居反りは明治34年5月に出てるんですけど、
それは鬼龍山が頭を逆鉾の左脇に突っ込んで、
左下手を引いて右で逆鉾の左足を外から抱えて反り倒したっていうんです。
そんな具合なので、案外適用範囲は広いらしいんですね。
>(粂川は)時津風部屋の力士も預かってたんですか!
>鏡岩が粂川部屋ごと双葉山に預けたのは
>存じ上げてましたが、
>そういう経緯があったと言うのは全然知りませんでした。
>あっでも調べたら「双葉山道場」創立当初は「時津風」は
>関係ないんですね…これも知らなかった!
>「双葉山道場」=「時津風部屋」と思ってました。
>双葉が時津風を襲名したのは引退してからなんですね。
>当時の時津風は小九紋竜梅吉…知らない方です。
>粂川に預けたあと、また部屋を興し、
>3年で閉めて今度は立浪部屋に預ける…ややこしいですね。
>だから立浪部屋なのに「時津山」なのか、なるほど。
(その時津風ですけど)
鏡岩の前の粂川(居反りの鬼龍山ですね)が亡くなるや
また弟子養成を始めるっていうのも…
かなりはちゃめちゃな人だったようですよ。
>坪田さん達の蹴返し蹴手繰りの定義は
>四つ身又は五分の押し合いなどで
>相手の体が「立ち止まっている」状態の時に
>蹴ったら蹴返し、引いたり手繰ったり立ち合いの際
>みたいに、相手が前に向かって動いている
>(or動かされている)最中に蹴ったら「蹴手繰り」
>…そんな線引きなのかな、と思いました。
ざっとそういう考え方でいいと思いますよ。
>>双葉山の連勝ストップのときは、
>>恐らく笠置山以外に分かっていた人はだれもいないはず。
>(本場所記録 昭和14年)http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/kiroku/k014.html
> 桟敷の記者連も手捌きを思い出すこと能わず、
>彦山光三氏に訊ねる。しかし彦山氏とて完全に
>記憶を辿れない。 双葉山が左側面から倒れた
>ということから推して、安藝ノ海の右外掛け
>だろうと断を下した。 ゆえに新聞はあらかた
>右外掛けと記したが、東京日日新聞に載った
>笠置山の解説には、左の外掛けと書いてある。
> 数日後、ニュース映画を見た記者が、
>安藝ノ海の左足を見て慄然とした。
>彦山氏にその話が伝わる。
>この時彦山氏が「カメラとて正確とは限らん」
>と迷言を発したというのは有名な話。
>~~~~~~~~~~~~~~~~~
>翌日の東京日日新聞という“証拠”を笠置山が残していたとは…
確か笠置山ってあのときは勝ち残りの控え力士だったんじゃないですかね。
それにしても、さすがにしっかり見てますね。
>「双葉山が左側面から倒れた
>ということから推して、安藝ノ海の右外掛け
>だろうと断を下した」
>マスコミが間違えた理由を説明する際に
>使われるこのロジック、
>小坂秀二の本などでも目にしましたが、
>坪田さんはこの言い分、
>率直にどう思われます?
>私は、左側面を下にして倒れたから「右外掛け」だ、
>という発想は全く理解出来ないのですが…
>掛けられた方が「下に」なるとは思えないんですけど。
>掛けられるという事は
>足を相手側に引き寄せられてる訳ですよね。
>その体勢で倒れるという事は、むしろ「足を掛けられてない側が
>先に土俵につく」と言ったら言い過ぎかも知れませんが、
>今まで相撲を見て来た実感としましては、
>「足を掛けられた側が先に土俵に落ちる」
>と言うのは全くうなづけないんですけど…
>是非とも坪田さんのご意見を承りたく思いますね。
>(私はマスコミが「左右を間違えた」事
>その事自体を非難するつもりはありません。実際
>分かり辛かったのかも知れませんし。ただそれより
>なにより、小坂氏あたりが真剣に主張してみせる
>「通常は足を掛けられた側を下にして倒れるものだが、
>双葉山が超人的な二枚腰だったゆえに倒れ方が逆になった、
>それがためにマスコミは見誤ってしまった」という様な
>“言い草”が決定的に下らないなと思ってて…
>小坂氏本人は、
>自分の先輩方が間違えたエピソードを双葉山礼参の
>ダシに使って上手く説明したつもりでしょうが、
>図らずもその“理由付け”の仕方によって自身の“レベル”を
>暴露しちゃったかな、っていう)
いや、これは概ね正しい理屈です。
通常、外掛けを掛けられて倒れるときは、
そこが支点になっちゃうので、尻餅という形でなければ
掛けられた側が下になって倒れます。まして、外掛けは原則として
上手側ではなく下手側の足で掛けないと危険なんですね。
#上手側の外掛けが多かったのは北の富士ぐらいです。
そうなると、上手から引きつける恰好になるんで、
右四つで右外掛けということになれば
左上手投げ(+右切り返し)気味に倒されることになるんです。
そうならない場合は、出足がやたらに鋭いか、
相手の下手側の技に対する外掛けか、ということになります。
>>一番いいのは、NHKの「大相撲特集 春場所」
>>(平成7年3月発行)
>>阿部宏「エピソードでつづる相撲放送の歩み」から。
>>---
>> さてここで、安藝ノ海が足をかけたのは確かだが、
>>掛けた足が右だったか、左だったか。
>>実況をしている和田は小声で
>>横に居た山本に確認を求めたが、
>>突然のことで山本も確信は持てない。
>> 放送席と隣り合うます席に座っていた
>>評論家の彦山光三氏も迷った。
>>「照さん、(双葉の)右かなあ」
>> と山本に問いかけてきた。
>>山本は素早く思案した、
>>双葉山の弱点をしいて上げれば、
>>左足が弱いとされていた。
>>そこに安藝ノ海の右足が飛んだのではないか。
>>「そうらしい」と答え、放送も新聞も、
>>安藝ノ海の右外掛けが双葉の七十連勝を阻んだとした。
>> ところが後日、ニュース映画で見ると、
>>掛かったのは安藝ノ海の左足だった。
>>足は左だったゾ、これを聞いた彦山は言った。
>>「レンズといえども正確とは言えん」
>> フィルムは貴重品で、機材の制約から
>>連続写真撮影もままならない時代だった。
>>---
>今と同じで
>記者が答え合わせしながら書いてる事が
>よくわかる逸話ですね。
>「赤信号みんなで渡れば怖く無い」
今だとどうですかねぇ。
例えば、産経さんは自らの手で手さばきをかなり早い段階で出しますねぇ。
文章が転倒していることが間々ありますが、ものの数分で、しかも通信社の原稿
に拠らないでやっていますね。
>彦山さんも山本照さんも全く自信がないまま
>皆に頼られてゴーサインを出した。
>記者達は、寄らば大樹の陰で、
>ただ従うだけ。それが一番安全。
>それによって「日本丸」が間違った方向に舵を切る。
>…この国の、今も昔も変わらぬ“危うさ”を
>物語るエピソードですね、有難うございました。
双葉山-安芸ノ海を引き合いに出すのはちょっと無理があるかな、
と思いますけど、
ちょっと思考すればいいだけなんだけれど、ということは間々ありますね。
>分からない事は「分からない」と正直に堂々と言える、
>それでも批判されないという環境がないと
>危いと思うんですよ。
>皆が「知ったかぶり」せざるを得なくなる。
批判はいいんですよ。
(いわれのない)非難がいけない。
>「双葉山が左側面から倒れたから」云々ということは
>ここでは触れられていないですね。
双葉山が昭和12年の大阪大場所で外掛け食って
負けているという実績があるんですよねぇ。
それと、実際には双葉山は右足の方が弱かったんですねぇ。
その当時、右足に弱点があるという記事は既に出てましたけど
…山本さんは左と言っている…そこが不思議なところではありますね。
>>小城錦のは、やられた智ノ花が土俵の外に
>>頭からおっこっちゃったんです。
>彦山さんなら何という決まり手にしますかね。
>…といいますのは、これを↓読みますと
>◎読売「大相撲」昭和46年1月号増補版
>「相撲技180手総解説」彦山光三著
>「揺戻」と「割りだし」とが
>隣りあっていて、
>「割りだし」の事を
>いわば「ゆりもどし」で土俵外へ出すような格好
>なんて言ってて…つまり彦山さんの中では明らかに
>「割り倒し」=「揺り戻し(呼び戻し)」
>という認識なんですよね。
>坪田さんはこれを読んでどう思われました?
>私は
>「割り出し」は力の技で、
>「呼び戻し」はタイミングの技だと
>思ってて、これを同じに考えるなんてとんでもない
>と思ってるんですが。
割り出しは完全に力技ですね。
呼び戻しは両方ないと決まらないです。
>勝負に負けた側である俣野が、
>苦し紛れに足を搦ませ
>焼け石に水的にもがいてみせている。
>狩野山雪が最初に?行ったその“脚色”が
>「河津掛け」の見本の絵へと発展してしまった
>からではないのか…
>という坪田さんの説ですね。
ということです。
ただ、曾我物語の江戸期板本があるならばそれを見ないと
いけないんですがね、本当は。
>>手斧掛けがどうして四つに組んだ絵を
>>なかなか採用しないかは、ですねぇ。
>>いちばん利きにくいからです。
>>振ったとか、半身とか、
>>そういう変な体勢のほうが、足を掛けやすいし、
>>利きやすいんですね。
>利きにくいですか。
どうしてかというと…
右四つであれば当然右足を前に出す。
手斧掛けはこの場合右足でないと遠くてやっていられない。
しかし右足を掛けたら、左足を支え足にされて残られる、
ということなんです。
ところが…
>掛ける瞬間は完全に半身っぽくなりますものね。
>がっぷりですと自由が利かず
>体をねじりにくいですしね。
>でも判で押したように「泉川」になっているのはちょっと…
>そもそも今の相撲では泉川の体勢になんてならないし。
泉川は大概振るんです。
振りながら掛けるとうまく相手が崩れるんですよ。
逆に振ってたら相手の足が掛かって
崩れちゃった例がありますけど(19.1双葉山)。
>>…私は右四つがっぷりで喰ったことありますけど(爆)
>ほら、案外利きやすいんですよ、きっと(笑)。
私は利き足が右で支え足が左なんですけど、左足が右より弱いんですねぇ。
>>あと、まがいの突き出しは
>>私は採用していないんですけど、
>>それは「古今相撲大全」
>>のいう「まがひに十二通あり」が解明できないからです。
>>つまり、まがいの突き出しが本当に
>>これだけなのかが分からないという意味です。
>「まがいの突き出しが本当に
>これだけなのかが分からない」
>う~ん、坪田さんのこの文章、
>私の知識が及んでないせいもありましょうが
>難解で、ちょっと分からないです。
>「まがいの突き出し」は「十二手の擬ひ」
>と関係あるんですか?
古今相撲大全のまがいの突き出しの項にそう書いてあるんで、
どうにもならないんですよ。
何のことやら、という感じです。
>常陸山の「最新相撲図解」に
>「相撲大全」に伝えられている「十二手の擬ひ」
>の12手が名前のみ記されていますね。
>「角力秘要抄」の「十二之紛」と
>漢字は違えど技の名前は一致してますが
>http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/result/waza4802.html
>「まがいの突き出し」はこの中に
>入ってないですね。
>私は「十二手の擬ひ」と「まがいの突き出し」
>両者の関係性が、よく分かってなくて。
全然分からないんですよ。
大全の説明文って、この技は残られたら或る別の技に変ずる、
というようなことばかり書いてあるんで…
>まあ「まがいの突き出し」…変な名前だな、
>名前から連想されるイメージと
>実際の技の形とのギャップが
>有り過ぎて不自然だな、とは思いましたが。
まがい手の形で土俵から出すのか?とか色々考えますけど、
まず結論が出ることはないですね。
坪田@札幌です。
2件分まとめていきましょう。
>> 曾我物語屏風…古いものはたぶん「國華」あたりに
>>載っているのではないかと思うんですが、
>>何しろ全然見ておりませんので、
>>大雑把に言えば、もう少し端麗な感じがします。
>「國華」……全然知りませんでした。
>探してみます。
「國華」は美術品ばかりを載せた大判のカラーグラフなんですけど、
私も近場ではなかなか見る機会がもてません。
北大にはあるんですけど、附属図書館ではなく文学部にあって…
>> 神奈川県の曾我物語屏風は、
>> 作者や制作年代は残念ながら知らないんですが、
>> 恐らく遡っても元禄どまりだと思います。
>> というのは、丸い土俵が元禄あたりに発生したと
>>みられるからです。
>なるほど。坪田さんぐらいになると、そういう所で
>たちどころに判断出来てしまうんですね。
>確かに太い土俵がうっすらと描かれてますね。
浮世草子の挿絵を見ていると、貞享と元禄の間で境目があるようで、
古くは俵が四角く並んでいて、新しいほうは俵が丸く並んでるんですね。
>あの作品の作者や制作年代については
>全然分からないままでしたので
>助かりました。
>それにしても、
>「言わんでもの記 6 Kawadzu-gake?(上)」
>http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/iwandemonoki/iw06.html
>「言わんでもの記 7 Kawadzu-gake?(下)」
>http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/iwandemonoki/iw07.html
>面白かったです。
>新たな疑問がたくさん出て来てますよね。
なかなか楽しいんですよ。
皆さん好き放題言っていますから。
>(上)だけでも
>★木村守直は何故「一本立」の別名「河津繋」とその謂れに
>ついて相撲伝書では触れなかったのか?
厳密には相撲伝書の中でも触れてないこともないんですよ。
#「本朝相撲之始」の一節
ところが…「河津、俣野が上帯むずと掴て、前へ曳寄セ、馬手へまはし、
目より高ク差揚たれば、俣野足をさしのべ、河津が股に繋ける」なんで、
通常言われているシナリオどおりで、
無論河津掛けだなんて一言も言ってません(笑)
>★「曾我物語」を否定してまで「河津が繰り出したから河津繋」説
>を主張する木村守直…その根拠は何か。
根拠はありません。
たぶんですけど、河津掛けなのに河津が足を掛けたわけではないから
実態に合わない、というだけでしょうね。
>★「相撲強弱理合書 上」に載っている「筋違繋」って一体?
やってることは同じようです。
図を見ても、特段の違いは認められません。
ただ、強いて挙げれば、河津のほうは掛けられると身動きならず
疲れて負けると書いてあって、すじかいがけのほうは掛けた足を
はね上げるって書いてあるぐらいのものです。
前者のほうは掛けている状態を言っているだけ?という可能性もなくはないです。
>★「古今相撲大全」の言う、上古からあったという「蛙がけ」は
>どんな技?
これは見事にブラックボックス、迷宮入りですね。
どこにも具体的には出てきません。
>>第1巻の凡例には、
>>当時の新聞・雑誌から採った旨の記述があるはずです。
>>2巻以降にはなんにもないんですけどね。
>あっ「近世日本相撲史」の決まり手は
>新聞・雑誌から採ったんですか。
>では「拡声器で場内発表した」決まり手は、
>協会がそれほど重視してなくて
>記録にも残ってないんでしょうね。
これが今となっては分からないんですね。
国技館がGHQに取られたときに資料をドサドサと捨てたという話があるんで、
紛れて失われているかもしれない。
この時期の年寄浜風の動向さえ現在ははっきりしていない状況にありますし…
>>>鏡岩が男女ノ川に決めた「居反り」…
>>>まあ、あんなもんかなと想像はしてましたが(笑)。
>>打っ棄りの頭突っ込みバージョンですね。
>>でも智ノ花がやった居反りには確かに近い。
>あの取組の決まり手を「居反り」にすると言うのは、
>現在の82手における「居反り」の感覚に近い感じですよね。
>今なら「居反り」ですけど、
>当時の相撲書で示されている「居反り」の
>定義というのは、
>しゃがみこんで両手で相手の両膝を撥ね上げる
>技ですよね。
>笠置山が昭和32年当時に「相撲」に連載していた
>「相撲技七十手」の居反りも古い方の居反りの解説です。
>尤も70手制定により
>反り技が5手になってしまいましたから
>鏡岩や智ノ花が見せた様な格好になれば
>デモシカで「居反り」にせざるを得ない、
>というのは分かるのですが、
>鏡岩の時は70手に縛られなかった訳だから、居反りではなくて
>別の反り技があったのではないかなと言う気もするのですが。
智ノ花のときは確か決まり手係が下手捻りと迷ったはずですね。
居反りは明治34年5月に出てるんですけど、
それは鬼龍山が頭を逆鉾の左脇に突っ込んで、
左下手を引いて右で逆鉾の左足を外から抱えて反り倒したっていうんです。
そんな具合なので、案外適用範囲は広いらしいんですね。
>(粂川は)時津風部屋の力士も預かってたんですか!
>鏡岩が粂川部屋ごと双葉山に預けたのは
>存じ上げてましたが、
>そういう経緯があったと言うのは全然知りませんでした。
>あっでも調べたら「双葉山道場」創立当初は「時津風」は
>関係ないんですね…これも知らなかった!
>「双葉山道場」=「時津風部屋」と思ってました。
>双葉が時津風を襲名したのは引退してからなんですね。
>当時の時津風は小九紋竜梅吉…知らない方です。
>粂川に預けたあと、また部屋を興し、
>3年で閉めて今度は立浪部屋に預ける…ややこしいですね。
>だから立浪部屋なのに「時津山」なのか、なるほど。
(その時津風ですけど)
鏡岩の前の粂川(居反りの鬼龍山ですね)が亡くなるや
また弟子養成を始めるっていうのも…
かなりはちゃめちゃな人だったようですよ。
>坪田さん達の蹴返し蹴手繰りの定義は
>四つ身又は五分の押し合いなどで
>相手の体が「立ち止まっている」状態の時に
>蹴ったら蹴返し、引いたり手繰ったり立ち合いの際
>みたいに、相手が前に向かって動いている
>(or動かされている)最中に蹴ったら「蹴手繰り」
>…そんな線引きなのかな、と思いました。
ざっとそういう考え方でいいと思いますよ。
>>双葉山の連勝ストップのときは、
>>恐らく笠置山以外に分かっていた人はだれもいないはず。
>(本場所記録 昭和14年)http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/kiroku/k014.html
> 桟敷の記者連も手捌きを思い出すこと能わず、
>彦山光三氏に訊ねる。しかし彦山氏とて完全に
>記憶を辿れない。 双葉山が左側面から倒れた
>ということから推して、安藝ノ海の右外掛け
>だろうと断を下した。 ゆえに新聞はあらかた
>右外掛けと記したが、東京日日新聞に載った
>笠置山の解説には、左の外掛けと書いてある。
> 数日後、ニュース映画を見た記者が、
>安藝ノ海の左足を見て慄然とした。
>彦山氏にその話が伝わる。
>この時彦山氏が「カメラとて正確とは限らん」
>と迷言を発したというのは有名な話。
>~~~~~~~~~~~~~~~~~
>翌日の東京日日新聞という“証拠”を笠置山が残していたとは…
確か笠置山ってあのときは勝ち残りの控え力士だったんじゃないですかね。
それにしても、さすがにしっかり見てますね。
>「双葉山が左側面から倒れた
>ということから推して、安藝ノ海の右外掛け
>だろうと断を下した」
>マスコミが間違えた理由を説明する際に
>使われるこのロジック、
>小坂秀二の本などでも目にしましたが、
>坪田さんはこの言い分、
>率直にどう思われます?
>私は、左側面を下にして倒れたから「右外掛け」だ、
>という発想は全く理解出来ないのですが…
>掛けられた方が「下に」なるとは思えないんですけど。
>掛けられるという事は
>足を相手側に引き寄せられてる訳ですよね。
>その体勢で倒れるという事は、むしろ「足を掛けられてない側が
>先に土俵につく」と言ったら言い過ぎかも知れませんが、
>今まで相撲を見て来た実感としましては、
>「足を掛けられた側が先に土俵に落ちる」
>と言うのは全くうなづけないんですけど…
>是非とも坪田さんのご意見を承りたく思いますね。
>(私はマスコミが「左右を間違えた」事
>その事自体を非難するつもりはありません。実際
>分かり辛かったのかも知れませんし。ただそれより
>なにより、小坂氏あたりが真剣に主張してみせる
>「通常は足を掛けられた側を下にして倒れるものだが、
>双葉山が超人的な二枚腰だったゆえに倒れ方が逆になった、
>それがためにマスコミは見誤ってしまった」という様な
>“言い草”が決定的に下らないなと思ってて…
>小坂氏本人は、
>自分の先輩方が間違えたエピソードを双葉山礼参の
>ダシに使って上手く説明したつもりでしょうが、
>図らずもその“理由付け”の仕方によって自身の“レベル”を
>暴露しちゃったかな、っていう)
いや、これは概ね正しい理屈です。
通常、外掛けを掛けられて倒れるときは、
そこが支点になっちゃうので、尻餅という形でなければ
掛けられた側が下になって倒れます。まして、外掛けは原則として
上手側ではなく下手側の足で掛けないと危険なんですね。
#上手側の外掛けが多かったのは北の富士ぐらいです。
そうなると、上手から引きつける恰好になるんで、
右四つで右外掛けということになれば
左上手投げ(+右切り返し)気味に倒されることになるんです。
そうならない場合は、出足がやたらに鋭いか、
相手の下手側の技に対する外掛けか、ということになります。
>>一番いいのは、NHKの「大相撲特集 春場所」
>>(平成7年3月発行)
>>阿部宏「エピソードでつづる相撲放送の歩み」から。
>>---
>> さてここで、安藝ノ海が足をかけたのは確かだが、
>>掛けた足が右だったか、左だったか。
>>実況をしている和田は小声で
>>横に居た山本に確認を求めたが、
>>突然のことで山本も確信は持てない。
>> 放送席と隣り合うます席に座っていた
>>評論家の彦山光三氏も迷った。
>>「照さん、(双葉の)右かなあ」
>> と山本に問いかけてきた。
>>山本は素早く思案した、
>>双葉山の弱点をしいて上げれば、
>>左足が弱いとされていた。
>>そこに安藝ノ海の右足が飛んだのではないか。
>>「そうらしい」と答え、放送も新聞も、
>>安藝ノ海の右外掛けが双葉の七十連勝を阻んだとした。
>> ところが後日、ニュース映画で見ると、
>>掛かったのは安藝ノ海の左足だった。
>>足は左だったゾ、これを聞いた彦山は言った。
>>「レンズといえども正確とは言えん」
>> フィルムは貴重品で、機材の制約から
>>連続写真撮影もままならない時代だった。
>>---
>今と同じで
>記者が答え合わせしながら書いてる事が
>よくわかる逸話ですね。
>「赤信号みんなで渡れば怖く無い」
今だとどうですかねぇ。
例えば、産経さんは自らの手で手さばきをかなり早い段階で出しますねぇ。
文章が転倒していることが間々ありますが、ものの数分で、しかも通信社の原稿
に拠らないでやっていますね。
>彦山さんも山本照さんも全く自信がないまま
>皆に頼られてゴーサインを出した。
>記者達は、寄らば大樹の陰で、
>ただ従うだけ。それが一番安全。
>それによって「日本丸」が間違った方向に舵を切る。
>…この国の、今も昔も変わらぬ“危うさ”を
>物語るエピソードですね、有難うございました。
双葉山-安芸ノ海を引き合いに出すのはちょっと無理があるかな、
と思いますけど、
ちょっと思考すればいいだけなんだけれど、ということは間々ありますね。
>分からない事は「分からない」と正直に堂々と言える、
>それでも批判されないという環境がないと
>危いと思うんですよ。
>皆が「知ったかぶり」せざるを得なくなる。
批判はいいんですよ。
(いわれのない)非難がいけない。
>「双葉山が左側面から倒れたから」云々ということは
>ここでは触れられていないですね。
双葉山が昭和12年の大阪大場所で外掛け食って
負けているという実績があるんですよねぇ。
それと、実際には双葉山は右足の方が弱かったんですねぇ。
その当時、右足に弱点があるという記事は既に出てましたけど
…山本さんは左と言っている…そこが不思議なところではありますね。
>>小城錦のは、やられた智ノ花が土俵の外に
>>頭からおっこっちゃったんです。
>彦山さんなら何という決まり手にしますかね。
>…といいますのは、これを↓読みますと
>◎読売「大相撲」昭和46年1月号増補版
>「相撲技180手総解説」彦山光三著
>「揺戻」と「割りだし」とが
>隣りあっていて、
>「割りだし」の事を
>いわば「ゆりもどし」で土俵外へ出すような格好
>なんて言ってて…つまり彦山さんの中では明らかに
>「割り倒し」=「揺り戻し(呼び戻し)」
>という認識なんですよね。
>坪田さんはこれを読んでどう思われました?
>私は
>「割り出し」は力の技で、
>「呼び戻し」はタイミングの技だと
>思ってて、これを同じに考えるなんてとんでもない
>と思ってるんですが。
割り出しは完全に力技ですね。
呼び戻しは両方ないと決まらないです。
>勝負に負けた側である俣野が、
>苦し紛れに足を搦ませ
>焼け石に水的にもがいてみせている。
>狩野山雪が最初に?行ったその“脚色”が
>「河津掛け」の見本の絵へと発展してしまった
>からではないのか…
>という坪田さんの説ですね。
ということです。
ただ、曾我物語の江戸期板本があるならばそれを見ないと
いけないんですがね、本当は。
>>手斧掛けがどうして四つに組んだ絵を
>>なかなか採用しないかは、ですねぇ。
>>いちばん利きにくいからです。
>>振ったとか、半身とか、
>>そういう変な体勢のほうが、足を掛けやすいし、
>>利きやすいんですね。
>利きにくいですか。
どうしてかというと…
右四つであれば当然右足を前に出す。
手斧掛けはこの場合右足でないと遠くてやっていられない。
しかし右足を掛けたら、左足を支え足にされて残られる、
ということなんです。
ところが…
>掛ける瞬間は完全に半身っぽくなりますものね。
>がっぷりですと自由が利かず
>体をねじりにくいですしね。
>でも判で押したように「泉川」になっているのはちょっと…
>そもそも今の相撲では泉川の体勢になんてならないし。
泉川は大概振るんです。
振りながら掛けるとうまく相手が崩れるんですよ。
逆に振ってたら相手の足が掛かって
崩れちゃった例がありますけど(19.1双葉山)。
>>…私は右四つがっぷりで喰ったことありますけど(爆)
>ほら、案外利きやすいんですよ、きっと(笑)。
私は利き足が右で支え足が左なんですけど、左足が右より弱いんですねぇ。
>>あと、まがいの突き出しは
>>私は採用していないんですけど、
>>それは「古今相撲大全」
>>のいう「まがひに十二通あり」が解明できないからです。
>>つまり、まがいの突き出しが本当に
>>これだけなのかが分からないという意味です。
>「まがいの突き出しが本当に
>これだけなのかが分からない」
>う~ん、坪田さんのこの文章、
>私の知識が及んでないせいもありましょうが
>難解で、ちょっと分からないです。
>「まがいの突き出し」は「十二手の擬ひ」
>と関係あるんですか?
古今相撲大全のまがいの突き出しの項にそう書いてあるんで、
どうにもならないんですよ。
何のことやら、という感じです。
>常陸山の「最新相撲図解」に
>「相撲大全」に伝えられている「十二手の擬ひ」
>の12手が名前のみ記されていますね。
>「角力秘要抄」の「十二之紛」と
>漢字は違えど技の名前は一致してますが
>http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/result/waza4802.html
>「まがいの突き出し」はこの中に
>入ってないですね。
>私は「十二手の擬ひ」と「まがいの突き出し」
>両者の関係性が、よく分かってなくて。
全然分からないんですよ。
大全の説明文って、この技は残られたら或る別の技に変ずる、
というようなことばかり書いてあるんで…
>まあ「まがいの突き出し」…変な名前だな、
>名前から連想されるイメージと
>実際の技の形とのギャップが
>有り過ぎて不自然だな、とは思いましたが。
まがい手の形で土俵から出すのか?とか色々考えますけど、
まず結論が出ることはないですね。