反応的な言葉と主体的な言葉。 | フェリークの日々

フェリークの日々

教育研修に携わっていく中でのさまざまな情報や、プライベートで起こった日常のあれこれを日記にしています。

よろしければお立ち寄りください。

みなさん、こんばんは。


最近、いろいろな方から「ブログ見てますよ!」と言っていただけてとっても嬉しいです音譜 


その反面、更新が少なくてちょっと焦ったり・・・ガーン汗


皆さま、マイペースな更新ですが、どうか今後ともお付き合いをお願いいたしますニコニコ




先日、お仕事で知り合った若手社員の方が口癖のように言っている言葉がありました。


それが、「自分の言うことなんてどうせ賛成してもらえないので・・・」の「どうせ」。


辞書で調べてみると、


----------

経過がどうであろうと、結果は明らかだと認める気持ちを表す語。

いずれにせよ。結局は。

----------


という意味だそうです。


要するに「言ったところで結局は受け入れられない」という気持ちでしょうか~はてなマーク


これは、発言する前からその意見は受け入れられないということを勝手に決めつけて、


さらに、そのようになるであろうという信念を自分で作り出しているのです。



7つの習慣(スティーブン・R・コビー著)では「言葉が自己達成予言」になると言っています。


「反応的」な言葉を使うことにより、自分の状況をすべて外的な要因のせいにして、自分の


人生を自分でつくり出す能力を失っているというものです。



「時間がなくてできない」 → 時間が自分を制限している


「上司にもう少し理解があれば」 →上司が自分の仕事をする能力を制限している


「どうせ賛成してもらえない」 → 周りの環境(人)が自分の意見を制限している



それに対して「主体的」な言葉とは、


「時間がなくてできない」 ⇒ 「時間内にできる他の方法を考えよう


「上司にもう少し理解があれば」 ⇒ 「私が説得してみよう


「どうせ賛成してもらえない」 ⇒ 「もっと効果的な説明を考えよう


と考えることです。


反応的な言葉に脳を支配されていては、前向きで建設的な解決はできないということですね。