張り出し窓 (夢一夜 肆拾弐) | feelsayo 2 

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猫を眺め 猫を被る日々。  
内心 ・・・ です。

2015/04/11 宵月
夢一夜  肆拾弐 01:00amごろに見た夢

薄曇の空から窓硝子越しに薄日の差す昼過ぎである。

自分は図書館で氷室京介のインタビュー本を読んでみたり
レンタルショップで香川照之の歴史ドラマを観てみたり
本屋で本を探してみたりしている。

腹の底の方に焦りがあり落ち着かない。
それを強いて感じないよう
そこから目を逸らしながら
苛立たしい気持ちを抑えて
用事を片付けている。

そんな風で益体もない用を足しながら
恰も
同時に別の場所に自分がいて
同時に別の事柄を片付けているよな
地に足の着かない感じをぬぐえずにいる。


本屋を出てから
書店員が調剤薬局の薬剤師のうちの一人に
似ていたことに気がついた。

背が高くやや痩せ気味で骨の太い感じのする
艶のない髪をショートボブにした女である。

その薬剤師を少し老けさせ
清潔感をなくしたような感じだった

(わたしは日ごろ、
彼女の、ある種のデリカシーを欠いたような
善意を、実は苦手と感じつつ隠している。)

己の不機嫌の理由を
そこにこじつけながら
自分は本屋を出、
帰途を急いだ。

自分は帰途を急ぎながら、
家に帰ってすぐやるべきことが
ある、ということを知っていた。


部屋に入ると窓際に雉(猫の名である)のシルエットがあった。
雉は張り出し窓の窓辺にうずくまっている。

香箱を組んだ姿勢からそのまま
頭を両腕の上に落としたような姿勢で
尾は大人しやかに
軽く体の傍に巻いている。

雉は普段、丸まって寝ることが多い。


わたしは訝った。


母が言った。

「雉はもう死んでいる、だから
ご飯をあげてももう、食べない」


わたしは雉が死んだことを思い出して泣いた。
声を上げて泣き喚きながら蹲った。

窓際の雉のシルエットが
眼間に浮かんだまま消えなかった。



・・・というところで眼が覚めた。
久しぶりに酷い寝汗をかいていた。
手が浮腫み皸が痛んだ。


追記
わたしは子供の頃
寝つきがあまりよくなく、
眠るとしばしば真に迫った感覚でありながら
馬鹿げた筋立ての夢を見ることが
多かったのです。

大人になってからもその傾向は続きました。

けれども
二年ほど前に漢方治療を始めてから
夢を見る頻度が徐々に低くなり
いつの間にか
夢を見ることがほとんどなくなってしました。

わたしのどうでも良い(笑)趣味のなかに
自分の夢を記述する、
という、
際立ってどうでもよいものがございます(笑)

ステロイド剤に対する耐性が弱く
副作用が早く強く出る体質のせいもあり
高原猫の治療は
漢方の先生に罹っております。

治療の効果が現れることと
時を同じくして
夢を見ることが少なくなっていきました。

今では夢を見ることは
(朝起きてみた夢を思い出せることは)
稀なことと申し上げて過言ではありません。

こんな夢でも
見ることが出来てうれしい。


もしも
この駄文に最後までお付き合いくださった方が
いらしたとして、

もし
夢を見ることが稀になったわたしを
哀れんでくださるようでしたら

ご覧になった夢を
かたってきかせてやってくださいませんか。

わたしは
人様がご覧になった夢を
聞かせていただくことも好きです(笑)