
私は誰にでも優しい人派!
本文はここからこのブログネタ、悩みに悩みました。
衆院選の投票も胃が痛くなるほど悩んだのですが
(知識がないものですから、考えるのも大変なのです)
このお題にもそれに勝るとも劣らない程苦しみました(笑)
若い頃なら、「私にだけ」って即答したと思います。
そうでないと、好いてくれている気がしなかったのです。
けれども年を取って
誰にでも優しい人の優しさと弱さ、
私にだけ優しい人の優しさと怖さ、
両方知って
正直、
どちらもしんどくなりました(笑)
「誰にでも」優しい人は、
回りにいる人みんなが幸せでいてほしい、
そんな風に見えました。
みんな、仲良くて、幸せな時、
真価を発揮する人、なのかもしれません。
そんな雰囲気を作るのも上手ですし。
でも、どこかで取捨選択、
優先順位を付けなければならないような時、
戸惑ったり決められなかったりしてしまう。
争うことが苦手、という面が
性格的な弱さに見えました。
長く付き合うとその弱さに疲れてしまう感じなのです。
「私にだけ」優しい人は、
身も蓋もない言い方をすれば嫉妬深い。
さばかりか、
同様に、自分にだけ関心と愛情を向けることを
強いる傾向がある、
という点で、かなり怖い。
そんな気がいたします。
長く付き合うほどに怖さが身にしみる感じなのです。
けれども。
わたし自身の乏しい人生経験から
考えていても
役立つ結論には到達できない気がいたします。
ですから。
ここで心理学的な分析を参照してみたいと思います。
名越康文氏の説によると、
「誰にでも優しい」人=
誰にでも優しく、太陽のように暖かい気持ちを向けるタイプ
ということのようです。
慈母のイメージ、といえばいいのかもしれません。
行動パターンを挙げるなら、
例えば
野良猫が鳴いていれば、家に猫がいても
拾って帰って、
元から居る猫にも、新しい猫にも、
暖かく包み込むような愛情を向ける、
そう言う行動を取るタイプのようです。
典型的なアニメキャラを挙げるならドラえもん、なのだそうです。
みんなを愛し、みんなに愛される温かさ、優しさがあるのです。
因みに、このタイプの女性は
女性的な(いろっぽい)魅力のある華やかな人が多く、
回りにたくさんの人が集まってくるのだそう。
「私にだけ優しい」人=
興味、愛情、が一極集中するタイプ。
集中力の強さ、持続も群を抜いているようです。
このタイプの典型が
碇ゲンドウなのだそう。
目的遂行のためにすべてを投げうつ、という
行動原理故に
碇ユイをサルベージする、という目的の為なら
セーレを欺くことも辞さない、というわけです。
(碇ユイはドラえもんとおなじ、
すべてを受け入れ愛するタイプに分類されていたように
記憶しております)
ドラえもんか、碇ゲンドウか。
ドラえもんのほうがいいわ…(笑)
そういえば、今、かかっているブログネタに
「結婚相手と恋愛相手に望むものは同じか違うか」
「恋人には刺激と安心どちらを望むか」
そんなお題もありますね。
この、二つのお題を考えた時、
長い時間を一緒に過ごす恋人、
長い期間を一緒に過ごす配偶者、
いずれにも、相手に、人間としての安定を求めたい、
自分の心の中には
そんな気持ちがぬぐいがたくある、
ということに気が付きました。
それは、弱く愚かな己を知っているから、
という、図々しさもあるのですが
それだけではないのです。
誰にでも優しくできる温かさ、
それは
好きな人にも、さほどでもない人にも
苦手な人にも、公平に振る舞える、
という度量、というのとも少し違うのです。
(そんな理性的なタイプも素敵だと思いますが。)
性根が優しくて、誰にでも優しくしてしまうけれど、
誰にも意地悪しないから、
結果的に場の雰囲気が暖かくなる。
「私だけに」優しくしてくれる幸せは、
高揚感や優越感さえも感じさせてくれて
ある意味、それは、
女に生まれた甲斐、とさえ言えることなのですが。
それでも、
やはりみんなが幸せでありたい、
そんな風に本心から思える人の温かさに
より一層の魅力を感じます。
自分だけが幸せになっても、それは結局、
長く続かない、という気もするのです。
仮令、
自分を一番にしてもらえなくて
苛々するやるせなさ、で
幸福感が台無しになるリスクがあっても
しかたがないかな、
などと思いつつ(笑)
拘束されたり監視されたりするリスクが
低い、自由度の高さも魅力的かな、
などとも思いつつ(笑)
ドラえもん、もとい
「誰にでも」優しい人に投票させて頂きます。