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猫を眺め 猫を被る日々。  
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クリスマスの思い出、教えて! ブログネタ:クリスマスの思い出、教えて! 参加中
本文はここから

クリスマスの思い出、なんて
大した記憶はないのです。

たぶん家には、
クリスマス=子供のための時間、
という図式がなかったせいでしょう(笑)

ですから大人になるにつれ
クリスマスは外で過ごすようになりました。
外で、世間並みに、普通に楽しく、過ごしていた、
というわけです。

ですからクリスマスには夢も幻想もないのです。

たった一度、小学校一年生だった時の
クリスマスを除いて。

話はさかのぼりますが。

小学校に入って間もなく、
わたしは徒歩10分くらいの場所にある
プロテスタントの教会の「日曜学校」に通うことになりました。

小学一年生女子の目には
その教会も金も、北欧からいらした牧師さん一家も
外国風の夢を誘う異国情緒にみちていました。

日曜日、どこかへ連れて行ってもらえるような
裕福な家庭ではありませんでしたから、
出かけていく場所ができてうれしい、
そんな気持ちもありました。

さて。

キリスト教ではクリスマスはとても大切な
行事です。
日曜学校といえどもそれは
例外ではありません。

かねてから練習していた劇、
歌、
お祈り、
お話、
などが時間をかけて執り行われ、

教会は
普段の「日曜学校」よりも
華やかな厳かな空間になるのです。

教会でのクリスマスが初めてだった、ということと
田舎の純朴単純な小学生女子であったということ

そんな事情もあって
わたしは教会でのクリスマスに幻惑されておりました。

空調が酷く、
目と頭がいたかったせいも
多分にございますが(笑)

日曜学校からプレゼントとして頂いた
シンプルにデフォルメされた
楽奏天使の図案のガラスコップも
とても美しく思えました。

けれども。

ご想像の通り(笑)
そんなクリスマスの幻惑的な時間は
その、
最初の一度だけでした。

立派に思えた「日曜学校」建物も庭も
自分が大きくなるにつれて
うすっぺらく感じられ、
それ以上に
同じことばかりを繰り返して聞かされる
毎週のお話にも
厚みを感じられなくなっていったのです。

小学校6年生になるころには

お話をしてくださるかたの

(外国の牧師さんのほかにも
数名の日本人の方がいらっしゃいました)

良くも悪くも普通の人間以上でも以下でもない面を
見てしまうこともしばしばあった、
ということもあり、

「日曜学校」というものに
魅力を感じなくなってしまっていたのです。

そんな状態でしたから、
異空間に迷い込んだようなクリスマスの幻惑は
小学校一年生だった、
最初のクリスマスだけ。

あの年、あのクリスマスだけは
ほんとうに
夜空のどこか、遠からぬところに
天使が降臨しているような
気がしていたのです(笑)

(サンタクロース、とか言わないあたり、
「日曜学校」のお話に
すっかり感化されちまってる感じで
ああ!
なんて単純お馬鹿な目出度い餓鬼だったのだろう!
と、
今となっては
他人事のように思い出されるのですが(笑))

でも。

あのクリスマスが
わたしの人生で一番
美しいクリスマスであった、
そんな気がいたします。

鰯の頭も信心からって
こんなことをいうのでしょうか?

・・・ちょっと違うかもしれませんね(笑)


AmebaGGクリスマスパーティー
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