
私は怖い人間派!
本文はここから幽霊と怖い人間、
怖いのはどちらか…
幽霊がいる、そんな風に考えることが
平素、ありません。
幽霊は初戦、人の作りしもの。
ですから、幽霊を作ったひとのほうが
作られた幽霊よりも怖いのではないか、
そんな気がするのです。
でも、それだけでは、
幽霊よりも「怖い人」のほうが怖い、
と断定する論拠としては弱い。
人が作った放射性物質の方が
人そのものよりも怖い、
人が破壊した環境ゆえの異常気象の方が
人そのものより怖い、
など
反例がいくらでも出てきてしまいますから(笑)
そんなわけで。
とりあえず、幽霊って何者か
かるく検索してみることにいたしました(笑)
検索前、
幽霊って恨みをのんで命を絶ったり
執着を残してこの世を去ったり
そんな悲しい人生の果てに
幽霊となってこの世に戻る…
のだろうか、などと漠然と思っておりました。
出るのなら夏、
場所なら柳の下
そんなステレオタイプのイメージで。
いざ検索してみますと、
わたしのイメージする幽霊は
江戸時代的な幽霊の定番にすぎない、
ということが分かりました。
幽霊とはもっと多様なバリエーションを有する
イマジネーションのようです。
(イマジネーションと決めつけては
いけないのかもしれませんね(笑))
wikiによると、
古くは何かを告げたり求めたりするために
戻ってきた、ということのようです。
『クリスマスキャロル』(ディケンズ)の幽霊、などが
このタイプでしょうか。
その後、復讐や執着の故に出現する、とされ、
その姿も凄惨なものとされるようになった、ということです。
ちなみに白衣に白紙の額烏帽子(ぬかえぼし)という
納棺時の装束であらわれる、とされるようになったのは
江戸時代から、なのだそう。
なんだか、こんな風に淡々と
百科全書的な記述を読めば読むほど
怖い、という感情から離れてしまいます(笑)
では人間は?
人間は、
怨恨や執着から人を恨んだり、攻撃したりするようです。
それは、幽霊による攻撃同様、
物理的なものであったり心理的なものであったりしますが
それは幽霊による攻撃とは違い、
物理的な証拠が残ることが多いようです。
ですから、
法治国家であればそれをよすがに
裁きにかけることが可能でしょう。
となると、
法で裁けない幽霊のほうが怖いのか…
ということにもなりかねません。
もし、そんな、
人ならぬものによる現象を
人の手によるもの、と疑ってしまったら?
こんな場合に恐ろしいのが冤罪、という気がいたします。
合わない理屈を無理に合わせようとして
無辜の市民を罪に問い、
無理な自白を求める。
そんな、
「怖い人間」の人間の恐ろしさを感じさせる事件が
最近、暴かれ、糺されておりましたね
これは人が作る組織の怖さ、
そんな気もいたします。
人の組織の恐ろしさ、といえば、
人の知恵では扱いかねる技術の
危険性に目をつぶり、
扱いかねて事故が起きても
なお使い続けようと目論む組織の論理。
それもまた、
「怖い人間」の恐ろしさを
まざまざと感じさせる事件であったと思います。
人の組織の恐ろしさ、といえば
価値が低いと思っていた
人のモノに
高い価値がついたとなるや
つとに自分のモノであったと主張し
あまつさえ
実力行使によって脅しをかける、
そんな組織の論理も恐ろしいものだと思います。
「怖い人間」の恐ろしさを感じさせる例の
最たるものではないでしょうか。
こんな風にみていると、
どうも、人が群れ、組織を作ることで
人の性の恐ろしさが
何倍にも膨れ上がるような気がしてまいります。
幽霊の怖さが「怖い人」の怖さを超えないのは
幽霊が群れたり組織を作ったりしないせい、
そんな気がしてまいります。
とはいえ
ゾンビは群れて走ったりするようですが(笑)
群れても組織を作らないのが
ゾンビのゾンビたるところ。。。のような気がいたします。
ともあれ。
わたしにとっては、
群れたり、組織を作ったりして
怖い活動をする「怖い人」たちの方が
個人営業の幽霊よりも怖い…
というのが実感、のような気がいたします。