
私はある派!
本文はここからブログを止めたいと思うこと。
始終あります。
最初に思ったのは猫の死後一年が経った時
でした。
このブログ、当時は「猫ブログ」「観察ブログ」として
登録しておりました。
その日一日の猫の言動を記録しては記事にするブログでした。
猫が来て二年目から、
「一年前の猫の言動ダイジェスト」を文末に付記しておりました。
その流れで、
猫が他界して一年間、「ダイジェスト」を続けました。
猫が他界して一年が経ち、
それが終わったとき、
ブログを止めようかどうしようか、迷いました。
ログインせずに、閲覧だけをするか、
ブログを続けようか、
という迷いでした。
結局止めなかったのはなぜか
自分でもよくわかりません。
ブログというツールの双方向性の魅力、
「外部と繋がっている」という感覚の魅力に
中毒していたから、かもしれません。
ともあれ。
「猫ブログ」「観察ブログ」は下ろして
ブログを続けることにいたしました。
その頃から「ブログネタ」への参加を
始めました。
自分の日常に記事にするほどの魅力は無く、
自分の知識に情報価値がなかったせいです。
その時、「ブログネタ」は
そんな何もない人間に、
「それでも記事をかいていい」という
免罪符を与えるシステムのように
思えました。
「ブログネタ」参加を
今も続けさせて頂いている理由は
・与えられた題材で書く
・書いた文に評価が付く
というゲーム性の魅力、
ということなのではないか、
そんな風に思っています。
ともあれ。
そんな流れで「ブログネタ参加ブログ」を営むことになったのですが。
「ブログ止めよたい」
それはもう、
始終、思っております。
昨日も思いました、
ブログネタに「参加」して
描き始めたブログ記事が纏まらなかったので(笑)
書き始めたブログ記事がまとならない、
そんなとき、
大抵、
「もう、ブログ止めよう…」と、思います(笑)
ブログ記事が纏まらず、
「参加」申請したまま「投稿」出来ずじまいになりそう、
そんなときも、
大抵、
「もう、ブログ止めよう…」と、思います(笑)
練り込んだつもりの記事が「黒星」評価の場合、
そんなときも、
大抵、
「もう、ブログ止めよう…」と、思います(笑)
そんなとき
大抵、
頭の中で鳴り響くのが、
「文を書くに足る経験、精神を持たない人間なら文を書くな」
というメッセージです。
記憶違いでなければ
このメッセージは
「日本語練習帳」の基調低たるメッセージであったはずです。
記憶違いかもしれません。
ともあれ、毎日のように、記事の内容のくだらなさ
文の構成の拙さ、表現のセンスの無さ
の故に記事後世に行き詰まり、
息詰まる度に
このメッセージが幻聴の如く
鳴り響くのです。
そんなわけで。
「ブログネタ参加ブログ」を営みつつ、
毎日のように
「もう、ブログ止めよう…」と、思うわけです(笑)
思っているだけで止めないのが不思議です。
なぜ止めないのか…?
インターネットの中毒性、ということ、
なのでしょうか。
そういう面もあるかもしれません。
けれども
それだけではない気がいたします。
実は昔、SNSに入っていたことがありました。
紹介制のSNSに誘っていただいたのがうれしく、
有り難く参加させていただいた、というわけです。
けれども暫くして止めてしまいました(笑)
SNSとは申しましても、
活動の実質は
アメーバブログさんでのブログ運営と
あまり変わりません。
すなわち。
記事を書く、人さまの記事へのコメントを書く、
ということなのです。
活動の実質は大差ないのですが
参加者同士の距離感が
ブログよりも近い、密接なような感じがいたしました。
その密接さに疲れた…
それが止める原因になりました。
それに対し。
ブログはあくまで「記事を書く」「投稿する」
ということが
活動の主体であっていい。
仮令、
客観的に見て
悪文で内容が無く、画像が稚拙で
見るに堪えないお粗末な記事しか
書毛ないほど能力が低く才能が乏しくとも
投稿することを付き合いよりも優先する自由がある。
心のどこかでそう割り切ることが
できるわけです。
SNSではそういう孤独が受容され難い気がいたしました。
SNSでは大切なのはあくまでつながり、という感じがした、
というわけです。
ブログでは孤独と付き合いの兼ね合いを
自分で調整することができる、
その自由が
ブログ運営を続けやすくしているような気がいたします。
さて。
話は戻りますが。
ブログネタには「評価」という
要素があります。
それ故
少なくとも一人の人間が
自分の書いた文を読んでくださっている、
そう信じてよい、と
自分に言い聞かせることができます。
情報価値もなければユーモアもない駄文を
お仕事とはいえ目を通してくださる
そういう方がいらっしゃる、
ということです。
ありがたいことです。
毎日のように
己の文章の内容の無さに
「ブログ止めよう」そう思いつつも
続けているのは
そのことがモチベーションになっているから、
そう、思います。
読んでくださって、ありがとうございます。