
本文はここから
熱中が続かないたちなのです。
趣味への熱中、というなら、
DAVID BOWIE
PUNK、NEW WAVE
氷室京介
The Michelle Gun Elephant
Oasis
などにすこし熱中しては冷め…
そんなことを繰り返す感じで生きてきました。
けれど
今はあまり、ROCKに熱中することが
できなくなりました。
体調が良くないのも原因かもしれませんし
単に歳をとって感性が鈍っただけかもしれません。
先日、
久しぶりに
Heroes Symphonyを聞いてみました。
Philip Glassが
高松宮殿下記念世界文化賞を受賞されたので
内にも一枚あった、と、
思いだしたのが
このHeroes Symphonyなのです。
けれど取り立てて深い感興もなく、
そんな己のセンスのなさに
気分が沈むばかりでした。
わたしはあまり、
音楽的な人間ではないようです(笑)
抽象的な芸術よりも
むしろ目の前で生きて動いているものに
惹かれるのかもしれません。
2008年8月19日から
2010年12月9まで
わたしは一緒に暮らしていた猫の記録を
取り続けました。
それは、
今までに熱中した
ROCKを聴く、ということとは
全く違った熱中の作業となりました。
観察すること、記録すること、
そしてデータを残すこと、整理すること。
それはわたしにはあまり向かない作業だったらしく
作業は上手くはかどらず、
疲れを感じることが
次第に多くなっていきました。
それでもなお熱中が続いたのは
なぜだったのか…
猫は他界し、記録が残りました。
そしてわたしは未だに
その記録の整理を続けています。
それは、ある意味で不健全なことかもしれません。
けれど、
わたしにとって
2008年から2010年のデータは
記憶や思いで同等の価値を
持つものなのです。
今、データの管理や整理は
わたしにとって静かな熱中の対象です。
客観的に見て
何の価値もない、
何の役にもたたないものですが(笑)
それでもいまだに
この熱中を覚ますことが出来ずにいるのです。