たくさん

『平成振り返って、〜』

みたいなことが出ていたので、

 

平成って

自分は何をしていたのかなぁ

 

と、

振り返ると。

 

ほぼ、30ねん

看護。介護。

やってたなぁと気がつきました。

 

平成始まった頃。

おばあちゃんの看護と介護の手伝いをちょっとして、

10年。

 

我が家の心の大黒柱のおばあちゃんが亡くなってしまい、

その後、1年ほどブランクで、

お母さんが脳内出血で倒れ、

妹とともに看護と介護。

 

この時は、

発症後、

全く動けなかったし、

話もできなくなっていたけど、

お母さんリハビリ頑張っていたから

自分のことはほとんどできるようになっていました。

 

それから、

右半身の回復のために

親子で色々な情報を収集して、挑戦、実践して

さらに回復を目指す!

という10年。

 

そして。

 

2008年末に

2度目の脳内出血でお母さんが倒れ、

本格的な看護、介護で10年。

 

私は、

これまでの20年の経験を生かし、

シータヒーリングやら、

精油、ボディーワーク、各種チャネリング情報や

色々な情報をその時々で得ては、

それを駆使して、

お母さんの回復に努める10年だったなぁ。

 

看護介護に関しては、

オムツ交換はマイスターの域で、

(そりゃ、10年間365日ひたすらやっているのだから、当たり前か)

上手にオムツを当てられるため、

漏れなどほぼ皆無。

いつも快適で、不快な思いをお母さんがしないように

できる限りのことをやってきました。

その甲斐あって、

床ずれなどはこれまで一度もなかったです。(感謝!)

 

24時間、ほぼ家から出ない10年だったので、

福島の原発事故後、

洗濯物も全て屋内で干して乾燥機で乾かすようにし、

放射線の被害はそこまで酷くない状態で過ごせたのは、

不幸中の幸いかもしれません。

 

また、

それまで、

お母さんの身体の改善のために自分でもボディワークをやっていたので、

お母さんの看護、介護をやっていても自分の身体を壊すことなく

膝、腰も問題なし。

食べ物も気をつけていたからか、

自分の体内の年齢は20代前半を維持しつつ、

ケアさん(ヘルパーさん)をお願いすることなしで、

10年24時間の看護、介護をやってこれました。

 

それでも、

平成の30年のうち、

やっぱり、この10年は厳しかった。

 

でも、

この10年にあった、

たくさんのお母さんの命の危機も

本当に、たくさんのサポートを得て

無事乗り越え、

この改元となりました。

 

 

さて、

次の『令和』という時代は、

どうなるのやら。

 

平成の終わりに、

立体のフラワーオブライフ、

シードオブライフ。

 

これが、

今、自分の手元にあるってことは、

これから先は、全く新しい時代になるやもしれんと、

希望に燃えつつ、

今日もお母さんのお手伝いに精を出しています。

 

皆さんにとって、

新しい時代が素晴らしい時代となりますように!!