3月は本当に脈の乱れがひどくて、
『これ、このままで大丈夫なのか?』
と、ものすごく焦る日々が続いていました。
これまで読んだ本でも、
いろいろなところで言われているところでも、
自分の内側にあるものしか、
自分は見ることも経験することもない
ということが、
もし、本当に真実ならば、
この経験は、確実に自分の中に原因があり、
それが見つけられない限り、
この状況は解決できない、
ということだ、
と思い至り、
またさらに
自分のうちの奥深く、
その原因を見つけるための探求へと向かいました。
奥深くへ進むうち、
自分のうちにある、強烈な憎悪のかけらを見つけました。
いつもなら、
決して見つけることができなかった、
どこかにあるその違和感のかすかなものを
ようやくつかむことができた瞬間でした。
そこから、
その憎悪と向き合います。
圧倒されるほどのパワーを持つ
自分の憎悪に対し、
どうやって自身で和解するのか。
そこが解決のカギになると感じていました。
以前、このブログでお伝えしていた
自分の中の喜びと出会う瞑想に出てくる
最後の奥の奥にある歓喜が
きっと
この答えに違いないという予感があったので、
その憎悪の中心に
歓喜
を送りました。
その瞬間、
憎悪は、ものすごく苦しみ出し、
のたうちまわって、
暴れ出して、
なんとかその歓喜から逃れようと
必死になりました。
憎悪は、
どうしてもその歓喜を吐き出せず、
そのまま力尽き、
歓喜の中へ飲み込まれていきました。
そして、
憎悪は、
憎悪のまま、歓喜の持つ輝きに包まれ、
別の何かに変化していました。
これがなんとも不思議で、
憎悪であるのに、
憎悪の持つ性質が違う。
これは一体なんだろうかと、
私の中にある憎悪に尋ねて見ました。
これは、
もっとも欲しくなくて、
もっとも恐れていて、
もっとも欲しかったものだ。
それゆえに、
完全に満足している。
そういう答えでした。
完全に満足した『憎悪』って、
こんな感じなんだなと、
そして、
憎悪は、私の大切な一部となりました。
この経験のおかげで、
自分のうちにある
憎悪、悪、醜、偽
のすべてに歓喜を入れることができました。
これらにアクセスするのは、
私にとってそれほど難しいことではなかったのですが、
真、善、美、愛
の方にアクセスすることの方が難しかったです。
その難しさの元となった私の思い、考えも
すべて取り替えて、
この8個の私自身の性質に歓喜を入れることができました。
これが次へのステップのベースになりました。
内なるものを整えて、
外からやってくるものを変える。
ここがスタートになり、
次のステップへと進みます。