今日は、自分の中にある思考パターンのクリアリングをしていました。

テーマは、
「汲々でなければいけない」



なかなか引き抜くことができなかったので、
一体何が原因なのかを観せてもらいました。


そこでは、
私は大きな砂の城を前に、
ひたすらに崩れたところを直し続けていました。


大きくて、美しい砂の城。

それは、私が作った作品でした。

作っても、
作っても。

そのそばから崩れる砂の城を
私は愛しているが故に
無意味だと分かっていながら、直し続けていました。
いや、無意味だとすら気が付かず、
目の前にある崩れ落ちる砂の城を
ただひたすらに直していたのかもしれません。


私は、それを観て、
どうしたら良いか分かりませんでした。

その作業を終わらせる方法が思いつかなかったのです。
そして、
根源に、何をコマンドしたらよいか、
私には分かりませんでした。

いつもなら、
「最高最善にこれを変えなさい!」とコマンドするのでしょうが、
それすらも思いつきませんでした。


ちょうど、どうしたらよいかと考えている時、
この話をメールでお話しする機会があり、
砂の城について書いていると、
あることに気が付きました。



砂の城は、崩れ落ちていく。



こう書いている時に、
そうか、「崩れ落ちるんだ」、と分かりました。

それが、本当の姿。
砂の城は、崩れ落ちるのが本当なんだ。

そのとき、
私はどうしたらよいか、
はっきり分かりました。


根源に、
「この砂の城を愛で満たしながら、本来の崩れるままにしなさい!」
とコマンドしました。


私の目の前にあった、
あの大きな砂の城は、音も立てず、輝きながら、
かけらひとつも残さず、
崩れ落ち、消えてゆきました。


消えた後。

そこには、
何一つ残っていませんでした。


無意味だと分かっていた
愛して止まなかったものを
私は完全に手放しました。

そして、

私はなぜだか、涙が止まりませんでした。


ひとしきり泣いた後、
私は、私の後ろに、私がずっとみようと思って
怖くてみることができなかったものがあることに気が付きました。

私は根源に
怖れることなく、それをみる、
また、
それを観ても大丈夫だ、と教えてもらい、
後ろを振り向きました。


そこには、
私が求めていた本当の光があり、
それは、真実の光でした。

私は、その光とひとつであることを思い出してもらい、
その光は、わたしになりました。


結果。

「汲々でなければいけない」

は、私の中から消え去りました。


今日は、
愛するものを手放すことは、
たとえ、無意味だと分かっていても、
恐ろしく辛く、悲しいことだと感じるものだとよく分かりました。

いまそのときが素晴しく、
そして、
私は常に学ぶことができることに感謝です。