時々。
私は、緊急事態のときに「未来の私」にヒーリングを依頼することがあります。
母のケアをしていて、
ぐっと体調が悪化した時や呼吸トラブルの際に、
私が看護で忙しく、ヒーリングにもうひとつパワーが欲しい時等、
コマンドして、依頼をします。
自分自身に依頼するって言うのも
不思議な感じですが、
すぐにヒーリング効果が観えますし、
一番私のことも母のことも理解している存在なので、
安心して任せられます。(笑)
そんな「未来の私」ですが、
個人セッション?(笑)で会いにいったとき、
いつも最後にこういわれる、という決まり文句があります。
それは、
「これらのことは、コマンドする前に必ず根源に確認してね」
です。
基本に忠実、的確でいつも感心します。
(未来の私は、ほんとに彼女のようになってるのかしら??:笑)
その決まり文句を私に伝えてくれる理由ですが、
たとえ、今の自分には分からなくとも、
今たずねている問題についての
最高最善の解決方法やヒーリングの方法を知っているのは根源です。
だから、どんなにお決まりのヒーリングであっても、
よく行うヒーリングであっても、
必ず「根源に確認する」ことが必要なのだと分かります。
ヴァイアナさんも著書「シータヒーリング」の中で、
どんな症状のヒーリングも、必ず根源に確認することが大切、と書かれています。
病いでも、思考パターンでも一定のパターンがあるというのは確かなのですが、
そのコマンドが、必ずしも最高最善ではない、
その時、その人、その病いにとって最高最善が異なっている、
だから、必ず根源に確認することが大切ですと、
説明下さっています。
私も、ついつい、母の熱が出たり、トラブルがあったりすると
「いつもの」観方でみようとしてしまいがちですが、
そうなると、大抵、有難いことに効果が出ません。(爆)
なので、すぐ自分がしていることに気がつきます。
また、そういう時の自分の気持ちや感覚感情は、
「過去」を向いていて
「今、このとき」にいないということもあります。
いろいろヒーリングを経験する中で、
過去のことを癒していても、
どの場所にいる人に対して行っていても、
どんなときであっても、
ヒーリングは、
「今、このとき」にいる私が根源にコマンドし、
それを今観ているのだとはっきり認識することも大切だと感じています。
やはり、「今、このとき」に生きて、
いまというときから、
常に根源が観せてくれるものを
そのまま「観る」ことが大切なのだと、
改めて思う今日この頃です。
私は、緊急事態のときに「未来の私」にヒーリングを依頼することがあります。
母のケアをしていて、
ぐっと体調が悪化した時や呼吸トラブルの際に、
私が看護で忙しく、ヒーリングにもうひとつパワーが欲しい時等、
コマンドして、依頼をします。
自分自身に依頼するって言うのも
不思議な感じですが、
すぐにヒーリング効果が観えますし、
一番私のことも母のことも理解している存在なので、
安心して任せられます。(笑)
そんな「未来の私」ですが、
個人セッション?(笑)で会いにいったとき、
いつも最後にこういわれる、という決まり文句があります。
それは、
「これらのことは、コマンドする前に必ず根源に確認してね」
です。
基本に忠実、的確でいつも感心します。
(未来の私は、ほんとに彼女のようになってるのかしら??:笑)
その決まり文句を私に伝えてくれる理由ですが、
たとえ、今の自分には分からなくとも、
今たずねている問題についての
最高最善の解決方法やヒーリングの方法を知っているのは根源です。
だから、どんなにお決まりのヒーリングであっても、
よく行うヒーリングであっても、
必ず「根源に確認する」ことが必要なのだと分かります。
ヴァイアナさんも著書「シータヒーリング」の中で、
どんな症状のヒーリングも、必ず根源に確認することが大切、と書かれています。
病いでも、思考パターンでも一定のパターンがあるというのは確かなのですが、
そのコマンドが、必ずしも最高最善ではない、
その時、その人、その病いにとって最高最善が異なっている、
だから、必ず根源に確認することが大切ですと、
説明下さっています。
私も、ついつい、母の熱が出たり、トラブルがあったりすると
「いつもの」観方でみようとしてしまいがちですが、
そうなると、大抵、有難いことに効果が出ません。(爆)
なので、すぐ自分がしていることに気がつきます。
また、そういう時の自分の気持ちや感覚感情は、
「過去」を向いていて
「今、このとき」にいないということもあります。
いろいろヒーリングを経験する中で、
過去のことを癒していても、
どの場所にいる人に対して行っていても、
どんなときであっても、
ヒーリングは、
「今、このとき」にいる私が根源にコマンドし、
それを今観ているのだとはっきり認識することも大切だと感じています。
やはり、「今、このとき」に生きて、
いまというときから、
常に根源が観せてくれるものを
そのまま「観る」ことが大切なのだと、
改めて思う今日この頃です。