現場に応援に来てくれたのは、野田さんと川岸さんでした。
二人が持ってきてくれた、プラスチック手袋を嵌めて、棺を家の中に運び込み、ご遺体の脇に置きました。
あらためてご遺体を見てみると、困ったのは、畳の上に直接全裸で寝かされていたことです。検死の際に警察が衣服をすべて脱がしてしまうので、
せめて衣服を身につけていてくれれば、それをつかんで4人で持ち上げることも可能なのですが、直接、ご遺体の皮膚に触れれば肉ごと骨から剥がれ落ちそうな雰囲気でした。
棺の中に納体袋を広げて、ご遺体の左右に2人ずつの配置で、体の下に手を入れて持ち上げることにしました。
僕と滝沢さんが上半身、野田さんと川岸さんが下半身です。
「お前が担当した喪主がこんな姿になって、お前どんな気持ちや?」
「そんなこと今はええから、滝沢さんちゃんと首の下にも手を入れてよ」
「気持ち悪いねん。なんとかならんか?」
「ならんから。はよして、このニオイで頭やられる」
滝沢さんも渋々故人様の体の下に手を入れ、せーのっ、の掛け声で、4人でいっせいに力を込めてご遺体を持ち上げました。
その瞬間、ゴトッ、と重い感じの音がしました。4人が息を呑みました。
あろうことか、千切れた生首がゴロゴロと玄関に向かって転がっていきます。
「あかーん!」
野田さんが言うと同時に、滝沢さんが、
「川岸! 拾え!」
と叫びました。
突然、名前を呼ばれた川岸さんは、抱えていたご遺体の下半身から手をはなし、反射的に、玄関に向けて転がっていく生首を、わわわわわ、っと声を発しながら追いかけていきました。おむすびコロリンかよ、と場違いな感慨が突如浮かびましたが、あまりの不謹慎さとこの状況の余裕の無さに、口をつぐみました。
「とにかく体だけでも棺にいれますよ」
それだけ言うのが精一杯で、滝沢さんと下半身を落とさずに踏ん張った野田さんをうながして、首のないご遺体を棺に納めました。
そこに、川岸さんが、拾い上げた生首をまるで、ラクビーボールでトライを決めるみたいに、ご遺体の胸の上に置きました。
「そんなところに首置いてどうすんねん!」
これには野田さんが強い口調で注意しました。
野田さんがあるべき場所に首を納めて、納体袋のチャックを閉めました。棺に蓋をして、とにかく一度、外に出ることにしました。腐乱死体の現場はニオイが厄介で、長時間の作業は心身ともに疲弊してしまいます。
玄関を出て、夏の強い陽射しと新鮮な空気が有り難く感じられました。
「そうや、酢入れたらええんちゃうんか!」
滝沢さんが背後から僕の右肩を掴み、耳元で大声を出しました。
「いや、確かにそう聞いたことはあるけど、効果があるとは思われへんで」
僕は嫌な予感がして、慌てて否定しました。
以前、大阪にある大手の葬儀社のベテラン社員の方に会う機会があり、その時に、教えてもらったのが、腐乱死体にはお酢が効く、というものでした。その方のお話では、腐乱死体を棺に入れたあと、お酢をその体に振り掛けておけば、ニオイが多少緩和されるというものでした。腐乱の程度にもよるのかもしれませんが、僕自身はあまり信用していなかった話で、あくまでも世間話程度の気持ちで滝沢さんに話したことがありました。
それを滝沢さんはこのタイミングで思い出したらしく、僕の嫌な予感はさらに膨らんでいきました。
「よっしゃわかった。酢や酢がいる! あ、オバハン。酢や、今すぐ酢買うてきてくれ!」
よりにもよってご親族の女性をつかまえて、オバハン呼ばわりした挙げ句、今すぐ酢を買ってこいとは、最早、正気の沙汰とは思えず、きっとひどいクレームになるな、と暗澹たる気分になりましたが、滝沢さんに声を掛けられた年輩の女性もニオイにやられて正常な判断がつかない状態だったらしく、「兄ちゃん、酢か! 酢買うて来たらええんか」
と、滝沢さんに負けないくらいのハイテンションで答えていました。
「そうやオバハン、酢買うて来てくれ、デカいやつ2、3本あったらええ」
そう言われた女性はすぐに自転車にまたがり一目散に走り去って行きました。
その女性が戻ってくるのを待つ間に、棺を玄関前の外に出しました。
残った親族の方たちと話している間、皆が皆おかしな高揚感に包まれ、やたらと大きな声で会話をし、所々で爆笑が起こったりしました。お葬式の打ち合わせの最中に和やかな雰囲気の中、時折笑いが交じるようなことは多々ありますが、やはり爆笑するのは明らかに常軌を逸していました。
「兄ちゃん買うてきたで。これでええか?」
先ほどのご親族の女性が、自転車の前カゴに入っているお酢の瓶を指差して滝沢さんに確認を求めました。
「よっしゃ、それでええ。ありがとう」
滝沢さんは棺の蓋を開けると、お酢の瓶を掴みだし、もどかしそうにキャップを開けると、ためらいなく中身のお酢を納体袋の上からぶちまけていきました。大半の人の頭の中に?マークが浮かんでいたと思います。
腐敗臭にお酢のニオイが混じると、それは凄まじい臭気になりました。明らかに体に害のありそうな有毒性さえ感じられました。しかし、滝沢さんは残りの2本もすべて棺のなかに流し込みました。
皆が啞然とする中、棺の蓋を閉め、ご遺体の納まった棺を寝台車に載せ、安置先の会館へと急ぎました。移動中、寝台車の中は腐敗のガスとお酢の臭気で地獄のような有様でした。
会館に到着してからもお酢の効果は全く無く、翌日の火葬までひどい臭気は式場全体
を覆い尽くしました。
