『月の海』
〜無いようで有る世界〜
「あなた休憩室」
そんな場所が、空間が、目の前にあったら
あなたはその扉を開けますか?
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いいアイデアが浮かばない。
そういう時、人間が思わずしてしまうこと、それが溜息である。
『はぁ〜ダメだ。完全に煮诘まった。』
ふと、そんな独り言を言いながら、私は普段から行きつけの喫茶カフェへ足を運ぶ。
こちらのお店を喫茶カフェというのには訳がある。少し古びたレンガ造りでできた焦げ茶色の壁、無造作に思えるがきちんと整えられた草木。
その中に埋もれるようにして入り口には、さりげなく掛けられた「OPEN」の看板がある。
その外観とは裏腹に、一歩中に足を踏み入れると
まるでヨーロッパのどこかの貴族の家へ入ったかのような内観のギャップがある、不思議なお店なのだ。
まるでレトロと今風の雰囲気を掛け合わせたような・・・
そう、だから私はこの店を喫茶カフェという奇妙な呼び方をしている。
『コーヒー1つ。
いつものブレンドでフレンチプレス抽出でください。』
『はいよ。』
席に着くなり私はいつもと同じトーンで、
いつもと同じ注文の仕方をする。
店内は洋風の造りになっており、アンティーク調の雑貨や年季の入ったようなティーカップなどが綺麗に陳列されている。
品の良いクラシックが耳を震わせ、
広々とした空間を作り出しているのだ。
日当たりの良い、外がよく見える席が
私の一番のお気に入り席。
私は普段から思考が煮詰まってくると、
決まっていつもここへ来ている。
そう、今日も悩めることがあったので
ここへ落ち着きに来た。
私はフリーのデザイン会社に勤めているのだが、
今が一番のスランプ状態であるとも言える。
デザインが、
全く浮かばないのだ。
『あぁ〜まずいなぁ。
今週何度この喫茶カフェに来たんだ?
もう4回くらい来てるよなぁ…。』
自分の体と頭をリラックスさせる為とはいえ、
こんなに毎回来ていることにも逆に不安や焦りを覚える。
私はデザイン会社といってもほぼフリーの状態で、クライアントからの締め切りやデッドラインという言葉にとにかく恐怖になっている。
『もう少しなんだよな…
何か人の好奇心を生み出せるデザインは思いつかないものだろうか。』
航空会社のポスターデザインはいつも空がメインだ。
その為、今回私は青い空ではない何か画期的な存在をデザインしたいんだが…。
そんなことを考えながらスケッチブックにペンを押し当てていると、
香ばしい芳香のいつもの温かなコーヒーが運ばれてきた。
『どうぞ。』
そう言って、カタとコーヒーをテーブルに置く音とソーサーの端が視界に入る。
その時、
ササッと何かがテーブル下を素早い動きで走り去る。
『ん?なんだ?』
目で追うと、それはとても早かったが
影へ入る瞬間にくねっと曲がった尻尾が見えた。
『え、こんなところに猫が?』
この店で猫を見たのは初めてだった。
飼っているという話も聴かない。
私ははじめ、その猫らしかった存在に驚いたが少し経ってからまたも不思議なことに気づく。
『あれ、そういえばさっきこのコーヒーを持ってきてくれた人の手…
肉球がなかったか?』
と。
コーヒーを飲む手を止め、少しゾクッとした私はカフェの厨房を見渡したが
先ほどの店員はいないようだ。
つい考え事に夢中で店員の手元しか見ていなかったけれど、なんだか今日は変だぞ。
疲れているのかな、私は。
『とりあえずトイレに行こう。』
そう思い立ち上がり、慣れたルートでトイレの方へ向かう。
右へ曲がり、〈REST ROOM〉と書かれた看板の方へと…。
あれ?
何か、雰囲気がおかしい。
トイレを示す看板と部屋の造りは2日前と全く同じなのだが、トイレの向こうにもう一つ部屋がある。
『この店、あそこまで続いてたか?…改修でもしたのかな。』
いや、それも違う。
2日前だぞ、私がここへ来たのは。そんな1日で部屋を増やせるものなのか?
ううむ…一人問答をしていてもラチがあかん。
それにしても、気になるな。
トイレのドアノブにかけようとした手を止め、なんとなくその部屋に近づいてみた。
『えっ!?』
私はさらに驚いた。
2日前にはその無かったはずの部屋の看板にはこう書かれていたのだ。
『あなた休憩室〜●●さま〜(本日限り)』
●●さまとは私の名前だ。
『ほ、本日限りってなんだ?』
そんなことを考えているうちに、私はここがカフェということも忘れいつの間にかその扉の中へ入ってしまったのである。
明日へ続く。
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本日はここまで
ここまで読んでいただき、ありがとうございます😊