英語をとってみれば、学校でテストがあるから
イヤイヤ学んでいた
英語は本当大嫌いだった
文法をこれが主語で、これが形容詞、これが動詞で
単語はこれで、スペルは一字一句間違えるな
挨拶はこの文章で、型にはまった
そんな英語、何で役に立つのか
わかんなかった
何でこんなもの学ぶのかなんて
学ぶ意義を自分で見つけ出せていたら
もっと違う世界を早めにみること
そして感じることができていたかもしれない
突然、その考えを変えてくれるきっかけが訪れる

ある和太鼓のイベントで演奏していた
演奏が終わると、トコトコと私の近くにきて
英語で話しかけられた。
相手は興味津々に私たちのグループや演奏のことを褒めてくれ
いろんなことを聞いてくれているようだった
でも。。。。。。。
私は、自分の考えや相手の聞いていることに答えられなかった

本当に自分が好きで演奏している和太鼓のことすら答えられなかった

それは本当に悔しい経験だった

いつか自分の好きなことを相手に英語で伝えらるようになる

そう決意した瞬間だった

それから、学ぶ気持ちがかわった

英語が単なる学ぶものから
相手に自分の気持ちを伝えるために必要な道具にかわったのだ
単なる紙の塊の教科書が
さらにはイヤイヤ学んでいた経験や覚えていたことが
意味ある、価値ある存在にかわった
そんな瞬間だった
いつ紙っぺらのものがいつ価値あるものに変わるのか
誰にもわからない
改めて思う
誰かに言われて学んでいたことも決して無駄にはならない
ただ、自ら学ぶことの意義をみつけてもっと真剣に学んでいたら
もっと違うと思う
この経験からも何かを学ぶにしても
何のために学ぶのか、自ら考えること
それが本当に大切

”純粋な 好・奇・心 とともに
ひとつひとつ つながり を大切に育めるひとへ”