ちょっと前に言葉になったことについて書いてみる😊
なかなか関係が切れないとかいうか、
なんだかんだ関わって行かないといけない人を想像して読んでみてください。
例えば、ママ友、親戚、家族、上司、同僚、学校の先生とかかな?
私がその人と関わって感じたのは
「あ、こんなに交われない人っているんだ」っていうこと。
私は話をするときに、その人の話の意図とか、本質、本当に言いたいことはなんなんだろう?って思ってます。
その人と関わった時も同じように考えてたんだけど、
「じゃあこう(変更)しましょうか?」って歩み寄っても
「いや、そうじゃない」って離れていく。
人って大体話が通じると思ってたんですよ。
なので私も初体験。こんなに話が通じないってことある?って。
私も「わかってほしい」という気持ちが強かったから
余計に気持ちを込めて対話していたのもある。
頑張って歩み寄っても、全然近づいて来てくれないので
「だったらどうしようもないじゃん」ってなっちゃったんです。
私がすごく変なことを言っているわけでもなかったので
もうこれ以上できることないじゃんって諦めに近い感じ。
別にその人を悪く言いたいわけではなくて、その関係を通して自分が感じたことです。
30歳の誕生日に自分にプレゼント🥰
10年軽自動車に乗ってた自分が、念願の外車に💗
(欲しいなって思った時期が偶然6月の誕生日に近かっただけ🤫)
これがあってから自分が悪かったり、もっとできることがあれば改善するけど、
交われないことに気づいた私は、
「もうわかってもらえなくても、応援されなくても良いかも」って思えました。
いろいろ好き勝手言われて、感情は揺さぶられたけど、
1日経てばどうしようもないことだと思えていた。
最初に、完全に関係が切りにくいと言ったのも私的には大事で(笑)
会わなくて良い人だったら、こう考えることもなかったはず!
会う回数は減らせるけど、関係は切れないのでその関係だから学べた。
「早く私を嫌ってくれ」
まずこう思った。こう言葉になった。
でも中途半端に関心を持たれるより、嫌われた方が関係を持たなくて済むなって思った。
「もう何こいつ!」って思われても良いから、早いこと嫌ってくれ〜〜って(笑)
というか嫌われたい人ってあんまりいないじゃないですか😂
私も、周りに合わせるタイプだったので、嫌われないように生きてきた。
苦いの苦手だけど、ダイエット中でカフェラテ禁止🙁
カフェオレが飲みたいの〜♪ってよく歌ってる🙃
【なんで嫌われても良いって思えたんだろう?】っていう疑問が自分の中に湧いてきた。
今までにない感覚だなと思っていた。
数日してふと頭に浮かんだ言葉は、
『何があっても大丈夫な自分』
うわ!!!何これって一人で感動したのを覚えている(笑)
死ぬとか、怪我とか意外で
目の前に起こって行く日々の変化とか、問題とかのこと。
そういうことで、「何があっても大丈夫」なんじゃないんかなって思った。
何かあってもその時の自分が精一杯対応するし、できる限りのことをするし
どうにか乗り越えて、解決して行くんじゃないんかなって思った。
自分の感覚で生き始めて、「自分への信頼度が増した」感じがした。
多分これってはるラボで、はるかさんがずっと伝えとったことなんだろうなって思った(笑)
そして、こういうこと絶対言葉にされてるよなって思った🤣
でも自分ではこの経験を通して、一番感じられたかなと思う!
また書こうと思うけど、私も人生の分岐点というか
本気で考えないといけないことにぶつかった時に
すごく大きい経験をしたので、それもあって
「何があっても大丈夫な自分」って思えるようになったんだと思う😊
ちょっと前だったら、
・怖いことは避ける
・ルートを決める、ルートから逸れると不安
・嫌なことはしない
・嫌われないように繕う
・目の前の問題を相手に合わせて解決しようとする
って怖いことや不安を避けて、安定を求めていた。
怖いこと、嫌なことは起きませんようにって思ってた頃が懐かしい😂
そんな怖いことも、自分の成長に繋がるし、
自分の器がもっと大きくなって行く気がして悪ないなと思う😆