2019.12.20 投稿


皆さま、ごきげんいかがお過ごしでしょうか(╹◡╹

 

今を輝かせる✨

光のホリスティックドレナージサロン   

feel well.   の愛元 理恵です(o^^o)            

 

 

魂の声を聞くお仕事を始めて、今かなぁと思い、綴ります(^_^)



19年前の

2000年12月20日 午後5:43

7つ下の弟が16才で亡くなりました。


 交通事故の話です。

ご注意くださいm(_ _)m


 


今日の空

 

死因は脳挫傷、クモ膜下出血、頭蓋骨骨折、など

 

 

スピード違反、信号無視、車線逆走してきた車に自転車ごと跳ねられ、

180㎝近くあった男の子が4車線分、空をとび頭から地面に落ちました。

 


12月13日

期末テスト中でいつもより遅い登校でしたが

用があるから少し早めに学校に来るように先生に言われたその日

 

 

「会社に遅刻しそうだから」

という理由で信号が赤になったタイミングでアクセルを踏み

前の車が邪魔で信号を渡れないから反対車線に入り交差点に侵入しようとした運転手に跳ねられました。

犯人は弟を助けずその場から逃げ去り翌日だったか、上司に説得され出頭しまた。

 


私は仕事で、携帯に入った母からの留守番電話でその事を知りました。

 

 

「りえちゃん、サトシが車に跳ねられて、助かる確率が20%もないんやって。。。」

 

 

は?いやいや、何?

 

 

半分、現実感。半分、人ごと。のような感覚で仕事を早退して救急病院に行くと、まだ手術中。

そこに家族の誰がいたのかも覚えていません。

 

 

焦りながらも

手術が終わって弟の姿を見るまでは、骨折くらいですむんちゃうか?とまだ楽観的でした。

 

 

そんな思いも虚しく、オペ後に先生の口からでた言葉は

「脳の損傷が激しく、目覚める可能性は極めて少ない。今は薬で心臓を動かしている。薬の濃度を最大にしても心臓が動かなくなった時は残念ですが。。。

 

1日もつか1週間もつかはわかりません。

なるべく早く会わせたい人に合わせてあげて下さい。」

 

 

と言われました。

 

 

 

 

 

突然すぎて、突然すぎて、逆に冷静でした。

というか、自分に起こっている事という認識ができなかったから冷静でいられたのでしょう。

 

 

「もう、あかんねんや。」と始めに思ってしまい、次に

「そのうち目を覚ますかも!」と始めの言葉を打ち消しました。

 

 

父母はそのまま病院に泊まる事になり、

3つ下の弟と車で家に戻る最中、私たち二人の思いは一緒でした。

 

 

「私(俺)やったら良かったのに。」

 

 

でした。車の中でよそに起こった事のような感覚で話がらも二人の思いは一緒。

 

 

まだ高校1年生。

今からやん。

私(俺)は、サトシより多く生きて、サトシよりは色々経験したからこんな目に合うのは私で良かったのに。

 

 

なんでさ?

なんで一番若い子なの?

これからなのに!まだちょっとしか生きてないじゃん

 

 

車中、23才の私と20才の弟は、大事な末っ子を失うかもしれないという恐怖を押し殺しながら静かにそんな話をしていました。

 

 

いつ息を引き取るか分からなかったので両親は一度も家に帰らずサトシにつきっきりでした。

 

 

病院と家の往復が続く中、私はというと両親の代わりに警察で当日の事を説明するのに事情聴取を受けに行きました。

悪い事をしたわけでもないのに刑事課で事情聴取。。。初体験&緊張しつつ

 

事故で大破した自転車と車を見せてもらいました。

 

 

断れば良かった。。。

グチャとなった自転車と車のボンネットとフロントガラスに予想以上のショックを受け、私の豊かな想像力が事故の場面を映像化してしまいました。

(・この時はスピリチャルな感覚はなかったよ・)

 

 

ぶつかった瞬間、宙に放り出された瞬間、地面を目前にした瞬間の弟が感じたであろう事を全部想像してしまいました。

 

 

もう無理!

苦しい 胸が苦しい

て思いながらも、どんどんと入っていく私がいました。

無意識に「ちゃんと向き合わなきゃ。目を逸らしたらアカン。」

て思ってた気がします。

 

この時は苦しすぎて途中で止めたけど度々、機会はやってきました。

 

 

 

脳が腫れて眼球を押し出し瞼が開いていたのでまるで起きているように見える弟。

頭だけ。体は無傷。

「さとしぃ 起きてるの? もしかして意識はあるけど体が動かんだけ?」

 

「さとし〜起きてぇ」

 

話しかけたり、好きな音楽をかけたり、体をさすったり、、、

温かい。柔かい。人工呼吸器だけど胸は動いてる。

 

時々、筋肉反射で体がピクって動くから期待しては落胆する日々。

両親は日に日に衰弱し数日で何十才も歳をとったようにみえました。

弟への想いとともに両親の身体と精神面も心配でたまりませんでした。

 

親、姉弟、それぞれの立場の感情がある。でも確実に親の方が辛いだろう。

 

親や姉兄の時とは全く違う。

まだ、育てている最中で健康体だった我が子が突然こんな事になったのだから。

今でも両親の気持ちは計り知れません。

 

 

訪れる友達や親戚、

思春期の友達達は涙を飲み込みながら言葉少なく弟を見つめて、身体に触れてくれていました。

 

 

何故か、家族全員、家族の前では一度も泣きませんでした。

でも家族全員、一人で泣いていたかもしれない。

 

 

私は、独りになると涙が止まりませんでした。

生まれた時からのこと、事故にあう前日の他愛のない会話

駐車場から家までおんぶしてくれた事

「おねえ、彼氏できた?俺、彼女できたでぇ」ってわざわざ部屋まで言いにきた事

夜に二階の窓から抜け出して彼女に逢いに行くのに私に協力をあおいできたこと

 

 

色々と思い出して。涙がでた。

めっちゃ怖かった。いなくなるのが。

 

 

私は楽しみでした。弟2人は大人になったら何をしているんだろう?

どんな顔になってるんだろう?それぞれ男前になってるだろうな〜

 

三人姉弟、親を大切にしながらそれぞれの家族皆で仲良く生きていく事を楽しみにしていました。

 

 

ああ

当然はないんや。永遠てないんや。

人は死ぬけど、兄弟やし、この先何十年も時間があると思ってた。

 

 

この世の全部がいつ終わってしまうか分からないんだ。

 

 

私の命も1秒先は分からない。

好きな場所や人、関係、何もかもに終わる時がくる。

全ては普遍的なのは知っている。

だけど、それは「いつか」ではなく「1秒後」かもしれない。


 

毎日、毎時間、毎秒、本気で生きなければ。

特に人とは、いつ会えなくなるか分からないから、いつも本音で真剣に向き合う。

適当で終わらせちゃいけない。

 

 

自分勝手な犯人の理由や年齢的にも理不尽な弟の死を目前にして、そんな事を思いました。

 

 

一週間後 12月20日

サトシの心拍に乱れが出てきました。

 

 

「その時がきたら心臓マッサージをしますか? ただし肋骨が折れるかもしれません」

と以前に先生に告げられ、しない事に決めていたのですが、

 

こんな時に限って父は叔父を送りに市役所に。

 

 

母、上の弟、従兄弟、サトシの彼女、私。

 

頼む!

さとし、もって!

あかん、あかん、いかんといて

せめて、あと一回でいいから声が聞きたいよ

忘れちゃう、何気なくでしか聞いてなかったから

 

 

モニターから聞こえる心拍が一定のリズムになりました。

 

先生が脈を確認する。

 

なんで?

ピー ピー ってなってるのに。

 

同時に父が帰ってきました。

先生は父の事を思ってか少し時間をおいて臨終の確認を取りました。

 

 

さとし君、お父さんが戻るまでよく頑張ったね。

一週間、お別れの準備をさせてくれて有難う。

 

 

16年間私に可愛い愛おしいという幸せを教えてくれた弟は静かに眠りにつきました。

 

 

本当に不思議、冬晴れだったのに直後に雨が降りました。

 

 

その日の夜は冷たい体で家に帰ってきた弟を家族4人で囲うようにして眠りました。

私は声を殺して泣き通しました。

なんでかな?

こんな時でもやっぱり全員、泣き顔を見せないように、泣き声をあげず、各々が涙を流していたように思います。

 

 

もう、葬儀告別式の記憶は殆どありませんが、

 

荼毘にふされる前に、頬に触れた時「体が焼かれちゃったらもう本当に会えない」って思ったら初めて声を上げて泣き棺から離れられなくて、従兄弟に引き離されたことと

 

仏教に通じている友達が弟の顔を見て「安らかで良いお顔してるよ」て言ってくれた事に少し心が救われた事を覚えています。

 

 

あとは、

もしかしたら自分が死んでしまった事に気づいていないかもしれないから、ちゃんと知らせてあげないと!と、

 

 

「さと君。さと君は死にました。大丈夫。何も怖くないよ。そして何も心配しないで、ちゃんと仏様のところにいきや。成仏してね」

 

 

と、葬儀から49日までずーっと話しかけていた事を覚えています。

 

 

両親は置いといて、仲は良かったけど元々泣き顔を見せ合わない家族だった。

家族全員、涙を抑え続けた一週間。

家族の前でくらい心を乱して泣いても良かったのに。

 

 

死んでないのに泣いたら死が近づいちゃう。

 

実際、死んでしまってからは実感がなく泣けないのと泣いちゃったら現実がどっと襲ってきて悲しみに耐えられないかもしれない防御反応だったのか?

 

 

今になって思うけど、家族揃って、感情を抑する人達だ。

 

 

20日中に書き上げるつもりやったのに、すぎちゃった。

逃げた犯人と家族と裁判と、魂の理の話はまた後日。

 

 

長文を読んでくださり、有難うございました♡


さと君、今夜はお話ししにきてくれるかな♡