お守りを持たない理由って
東本願寺さまの親鸞上人750回御遠忌も無事終わりました。
先日は「宮御殿」という特別な間で
お斎(おとき)という食事の接待のお運びさんを務めました。
お抹茶を出したりと慣れない作法にしどろもどろ
宮御殿 って 畳の縁が赤いんです!!
京都の市長さんと市会議員さんがお見えでした。
そうそう、この御遠忌の期間
京都市内に臨時のバスが出ておりまして。
750系統 市バスマニアにはたまらないかも(笑)
京都駅~東本願寺~京都市美術館 を循環する臨時バス
次走るときは50年後??? かな
さて、期間内、本山の中でお手伝いしていると。
多くの観光客の方に
お守りはどこにありますか?
と聞かれます。
じつは・・・東本願寺に
お守りはないんです!
えっ??って みなさんおっしゃいます。
それは、教えなのです。
僕も数年前に知りました。
それはなぜかと・・・・
東本願寺さまのリーフレットより抜粋
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お守りを持たない理由 ~現実と向き合う~
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どこの神社でもお守りは売られています。
お寺でもおいていないところのほうが珍しいくらいです。
効力にもいろいろあって、合格祈願、恋愛成就や
交通安全、家内安全、厄除けなどなど
しかし、本当に効力があると思っている人はどれだけいるでしょうか。
願ったとうりにならなかったからといって、
お守りを買った先を訴えたという話を聞くことはあまりありません。
お守りが気休めでしかないことを実はわかっているのです。
交通事故にあったのはお守りを忘れたからだ。
商売がうまくいかないのは始めた日が悪いからだ。
不幸が続くのは名前の画数が悪いからだ。
問題の原因探しに追われり、もっと効力のあるお守りを探し求めたり
振り回されるのです。
自分にとって良いことを追い求め、都合の悪いことを避けようとする、
これは人間の性分といっていいでしょう。
良いことだけを追い求める生き方は、悪いことを恐れるようになります。
そして、悪いことが続くと、自分の人生までも呪ったりするのです。
どのような状況に投げ出されたとしても、
自分の人生は誰とも代わることはできません。
それは、同時に誰とも変わる必要のない人生なのです。
お守りを持たないということは、
良し悪しを越えて、現実向き合っていこうとする生き方の表現なにです。
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ほ~~~~~~
なかなか 仏教ってやるじゃん と妙に納得しました。
お守りないの? と聞かれた方には
このリーフレットをお渡ししています^^
もちろん、お守りにゆだねるのが悪いという話ではないんです。
それが 慣例化され習慣的な依存になると
自分の外に問題を探してしまうからです。
すべては、自分の心の中で起こっていること。
そう、あの有名な言葉
事件は会議室で起きてるんじゃない!
上手いこと言うな~
頭とココロは別です。
しっかりと自分の心とつながることが大切です。
現実と向き合う というか
自分と繋がる
僕はこれが大切だと考えています^^
それが スタ☆ナビ 本当の自分との出会い
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