3/5(木)19:00
演出:松井周
作:マリウス・フォン・マイエンブルグ
作品の概要はこちらをご参照ください(F/Tサイト内)
うろ覚えなのですが乱雑にメモった舞台の感じを図におこしてみました。
凄く微々たる参考にしかなりませんが。

舞台は細長く横に歪な4角形になっていて、三角形のパネルが空間をつきぬけるようにして真ん中に床と平行に設置されています。床からポールで支えているのですが、柱部分にライトと小道具が数多く設置されています。
ここにおかれた小道具、および下手側にある瓦礫の山のようになっている場所から椅子などを出して中心の「装置」を食卓、二階、などあらゆる機能を持たせていました。
科白と科白、感情の動き、場面展開どこをとっても難しい作品だった、というのが純粋に演劇鑑賞初級者としての印象です。
表現が非常にエゲつない感じの言語表現が多く、感情の起伏が激しい登場人物(弟/クルト)がいたため、性質上「叫ぶ」科白が多かったので凄く残念だな・・・と思いました。
でも「なんとなく」というくらい遠い目線から概観の印象だけでも「不快な感じ」「拠り所の無い感情」「不安定さ」は凄く伝わりました。
父、母、姉、弟、一見何不自由なく暮らしている家族の元に姉の恋人が訪れ、家族の平衡が崩れ始める。自傷、引きこもり、親殺し―現代社会に蔓延する狂気に、さまよう現代人の新たな「リアル」が浮かび上がる。(F/T公式サイト作品紹介より)
この家族が崩壊してしまった原因はどこにあるのか?
私は飽和状態による感覚の鈍化が原因のひとつではないかと思います。
狂い始めた状態での「恋人」の出現。恋人はごく普通の人ですが、この家族の世界では恋人は凄く異分子のように感じます。人間の尺度によって変わる「見え方の違い」みたいなものが感じられました。
弟は心の閉鎖空間から脱出する方法が分からず、苛まれて、逃げ道として「火」に魅入られてしまいます。
ストレス発散の属性で「火派」の人と「水派」の人っていると思います。火を見てると落ち着く、水に触れていると落ち着くとかそういうことですね。弟は拠り所のない不明瞭な感情を怒りのエネルギーと認識して、攻撃性エネルギーを「火」に象徴させたということでしょうか。
人に対して攻撃的な人間は、ある面では自己に対して一番攻撃的なのかもしれません。
顔を焼いた理由が一体なんだったのかもはっきりとは分かりませんが、自己愛や依存の欲求と自分がそうしていることへの自己嫌悪みたいなものでしょうか。ちょっと近いことを経験しているのでそういうところなのかな・・・と個人的には解釈しました。
それぞれがお互いをある面では拒絶していて、ある面で依存している。でもお互いの相手に求めているものが全くかみ合わない。その状態を長く放置しすぎた結果の「崩壊」ということなんでしょうか。
噛み合わない状態を繰り返すことって凄くストレスですよね。
でも解消するべく行われるはずの「会話」を放棄している。
自分達で不のサイクルを断つ術を放棄してしまっていることにも気がつかず、自分の首を絞め続けて「苦しい」といっている。
極端な描かれ方こそしていますが、断片的には「分かる」と感じるところがあるのが余計にいや~な感じなんですよね(笑)
他人には言葉で伝えないと伝わらないことがほんとうに沢山あるんですよね。むしろ言葉で伝えなくても伝わることのほうが少ないです。だから会話って大事なんですね。
自分は言葉は交わせますが、会話の構成が下手。意図が不明確なしゃべり方をしているのではないかと思います。だから凄く直したいんです!!
伝えたいことが伝わらないというフラストレーションです。他人に理解力がないんじゃなく、自分に会話力がないんです!
人と話すことは大好きなのに人と話すことが下手。
結局BLOGを書いたり、レポート書いたりしてきたけれど、「伝える訓練」はしてなかったということなんです。何をしていたんだ・・・・。
今回の演出を手がけた松井周さんが、作品によせて
>「もっと広い場所に出れば!」と忠告したいぐらいです。
しかし、そこで気づくのです。私も誰かによくそう言われるなあと。
と書いていらっしゃいます。
今、就職活動をしていますが、それこそ直球な就活本や、ビジネス関係の本や雑誌など、たくさん参考図書として読んできましたが
「目を背けたい事実に目を向けることをしなければ何も見えてこない」
といった内容をよく目にします。
この舞台はまさに「目を背けたくなる事実」を描いている作品です。
だから作品に嫌悪を感じると同時に、「作品を見て嫌だと思う自分」が駄目だと思って凄く重い気持ちになった訳です。
本当に、観た後疲れました。自分の中の良くないものを見たような感じで。
でも、直視して受け止めることをしないと多分自分の今も変えられないんだという事実が分かりましたし、今いろいろと自己分析をしているけれど「まだ甘い、浅いんだ」ということも分かりました。
私ももっと広い場所に自分をおかなくてはいけないな、と思います。
感想というより反省文ですね(笑
でも非常にためになりました。
○この作品もそうですが、映画「おくりびと」がアカデミー賞を受賞したということからも、最近「家族」に人々の関心が集まっているのかな、と思います。
核家族、共働き、家族間での殺人事件など、血のつながりがあるから「家族」ということはもういえなくなって来ていますよね。
多分、日本人で「フルハウス」好きな方って結構多いと思うんですが、フルハウスは血が繋がっていない人もひっくるめて家族が成立していますよね。
海外ドラマNAVIの「フルハウス」についてのコラムで「脳内居住ライフ」という表現を使っているんですが、まさにこの一言が作品の特徴といえますよね!
作品に同調して、自分もまるで一緒に住んでいるような目線で鑑賞するんです。もちろん私もまぎれも無くこのタイプ。
「めぞん一刻」や「ここはグリーン・ウッド」もそのタイプの代表作でしょうね。
今見ているディズニーチャンネルのドラマなんかはほとんどそんな目線で見ているかもしれません。
やっぱり共感できるのが一番受け入れやすいですよね。