●夢でゲームみたいに自分が自分を見下ろしているっていう意識が体と離れている夢を見る方もいらっしゃるそうですね。いい加減マトモな記事を一生懸命頭動かして書く習慣つけなけりゃと思い、ちょうど今注目しているので『ライラの冒険』についてちょこっと。今『ライラの冒険 』公開前ということで、ライラの冒険について今更ながらに(ほんとにな!)ちょいちょいと齧りついてみたわけなのですが・・・長編ファンタジーは現代の技術で映像化されるとほんと美しいですねー。このビジュアル化の動きによって私のような「お話が読めなくなった」人間(笑)は大いに助けられています。指輪物語もハリー・ポッターも読めなかったんですよ私は・・・情けない大人ですまったく!
ライラの中の動物・・・というかダイモンについては図像学的な要素を感じるのですが、原作は既存する諸宗教に対しての批判的な意味合いが受け取れるという点で宗教がカッチリ成立している国では評価の分かれる難しい作品なのですね。うちの大学なんかはカトリック系だから、カトリック的にはどうなのでしょう。私的には宗教はライフスタイル、というイスラム教的な捉え方が相応だと思っているのですけれども。。
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日本では何かしらの宗教に属さなければならないという絶対的な決まりや、宗教を生き方の基とする概念が文化的に存在していないのと、ファンタジーの要素を西洋文化全般というひとつのおおきなくくりとしてみているので、実際に私も見落としていたことなのですが、魔術と宗教は異なるものであるということを念頭において考えないと表面的にまず指摘されている問題点もわからないという。。。なかなか難しいです。
フレーザーの金枝篇に書かれていることなのだそうですが、人間が自然を支配しようとして呪術をはじめ、ヒトではかなわない高次の力や現象を「神」として信仰の対象としたのが宗教、その後再び自然を支配しようとして新たにヒトが得たものが「科学」で科学は自然支配という欲求のもと生まれ、存在しているということなのですが、いろいろ調べたり読んだりして「ああ」と納得したのがここでした。魔術と宗教の区別に関しての納得にはならなかったんですけどね(笑)科学が進歩して自然が壊れた流れは超自然的な話で、産業革命などの技術の大きな革新があった時代に、人々の心情が人間が介入する以前の神話的な世界(アルカディア)や自然に近い田園風景への憧憬を抱いたというのも非常に納得がいきます。こう考えていくと人という生き物はパラドックスな生き物だなぁと思いますよね。人の精神的な成長の流れにも二極の葛藤は常にあるわけですが、1という単独で存在し安定しているものはほとんどないという意味でもあるのかもしれません。
ファンタジーの要素は以前講義で教えて頂きましたが、水、鏡、地下、彼岸・・など距離・境界がかかわってくるものが多く用いられますが、私の大好きなミヒャエル・エンデのネバーエンディングストーリーで、アトレイユが通った第二関門は鏡でした。この関門では自分の真の姿が見えるんでしたよね。ライラのダイモンは人の深層心理、いわば鏡に映った本当の姿が動物となって具現化・顕現された現象、と捉えて良いかと思います。性別が真逆という設定でいわば精神的な伴侶みたいな設定になっているのが興味深いですね。性別が逆とは言い切れませんが、母親への依存から物、たとえばぬいぐるみとかへの依存とかそういったものにも通ずる感じしますね。男の子って特に最初は母親への固執が強いみたいですし。女の子が好きな相手の条件に父親を比較に出したりしたりとかするその意識の強さとか。コンプレックス=ダイモンということなのかなぁと。幼少期の変動が多い時期には、さまざまに姿が変容し、やがてひとつの形に落ち着くのだそうで。でもダイモンで性質が読み取れてしまうっていわば自分の一番弱い部分曝け出しで歩いてるってことですよね。非常に無防備ではある。けれど、掟として、他人のダイモンに決して触れてはいけない、というルールがあって。このへんはゲドやアリス、千と千尋の「ほんとうの名前」のルールに似ているのかな。
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ちなみに映画の公式サイトにでダイモン判定をしてみましたら、私はスズメでした。alchaeonという名前。
ダイモンの種類は31種類ということなのですが、この数的な意味があるのかないのか、どういう設定に基づいて31なのかが気になるところです。気になったのは双子素数ってところくらいですかね。数字的な意味合いでは。
伝統とされているファンタジー要素をしっかり持った作品が続々と映画化されているということですね。
その一方で非常にライトでインスタントな文体、物語が好まれているという二極の動きがなんとも不思議です。
●改めて長編ファンタジー文学やこれまでの児童文学として愛され評価されてきた作品と現代の文体や物語、というものについて触れるときに”エンターテイメント性”と”重厚感”が対極の属性にあるような、そんな感じをちょっと覚えました。エンターテイメント性には非常にスピーディーな感覚が感じられるんですね。重厚感というのは存在感というか、私が一番気にするところはおそらくほかの皆様もそうだと思いますが物語りの厚みという部分ですね。あ、でもそういう意味ではワンピースはエンターテイメント性とストーリーの重厚感ともに持っているといえばそうかもしれませんね。
この話題はストップしてた研究対象関連なので文献あつめてもう少しきっちりやっていこうかと思います。
●ここを読んでくれているお友達がウィル・オ・ウィスプについていろいろ詳しく教えてくださいました☆ありがとうございますーvvv