お久しぶりで | OG:LIFE

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アニメと写真のおはなし

○すっかりご無沙汰しております。時折大学に行き、時折説明会やら外出する以外はバイト漬けの毎日を送っていて、体力仕事はほんとうに眠くなるんです。快眠なんです。なにせ「短時間でよい睡眠が取れる」んですから・・・!つまり私はそれまで体を使わなさすぎたということですね(笑)


山羊通信で書くネタとしてはちょっと読む人を選んでしまう恐れがありますが、昨日、バイト先の先輩からNitoro+の沙耶の唄をお借りしてきました。一気に全エピソードをプレイしました。

沙耶の唄は結構激しい描写があるので話題になった作品だったそうですが、私はいとうかなこさんの『沙耶の唄』とあの雰囲気のある沙耶の容姿とかフィギュア(沙耶の最期のプレゼントのシーン)とかでかねてから気になってた作品だったんですけど、いろんな意味で衝撃的な作品でした。

でもあのゲームの冒頭から一環して描かれている病気の症状による環境状態は、風景を例外にすると私が小さいときに見たことのある「匂いつきの悪夢」の感覚にかぎりなく近くて怖かったです。

ゲームは、単純に誰かを失って悲しいとかいう次元の話ではないので、複雑な感動で涙が出るところもありました。沙耶が種族の中のイレギュラーな存在になって、優しい存在になってくれたのが救いだったのかな。結果として「何がいけなかったんだろう・・・みんな幸せになりたかっただけなのにな」と。


私はやっぱり中学時代に比べて格段にスプラッター的なものに対して恐怖を感じるようになったなぁ・・と。中学時代は感覚が麻痺してた、といっても過言ではないです。あんまり込み入った話をすると不快な思いをさせてしまうのでこれ以上書きませんけれども。『沙耶の唄』のように世界が見えてしまったら、人があんな風に見えたりしてしまったらどうなってしまうのかなとあれこれ考えてしまいます。疑似体験とはいえ、あんな世界で孤独で、あとは沙耶が一人傍にいるだけ―って想像するまでもなく無理。

でもこの「無理」と感じられることがきっとこのゲームをやったうえでの大事なポイントなのかもしれません。当たり前にあると思いがちな日常や今という時間も、「ある」ことが当然ではないんだということを感じるためのゲーム、と解釈できるかもしれません。

私はひぐらしをやっていませんが、ひぐらしも、プレイしたらこのゲームと似たようなことを感じて、人にはあまり強気でお勧めすることはできないと思います(笑)


『PEN』という雑誌がありますね。今でている最新号で特集されてるのがアンリ・カルティエ=ブレッソンでした。

”日常をアートに”

身近なものを「当然あるもの」として見逃しているうちは、そういった身近なものたちのドラマに気づくことはないんだろうと思います。

カメラは瞬間を形ある記憶として残す力があります。私がカメラを好きな理由もそこにあります。

私は自分の記憶にある大切なひと時を、忘れまいと努力しても忘れてしまったときに、その記憶を取り戻す術として写真は力強い存在だと思うんです。




そんな感じで沙耶は全エピソードをクリアしたら十分すぎるほど満足でした。明日からはまた十六夜記に・・・PS2族に戻ります(笑)いとうかなこさんの歌ってる沙耶の唄はやっぱり好きですね。「ガラスのくつ」よりも好きかな。

最近同人音楽に嵌っているのでカラオケのレパートリー増える気配がないですね(笑)アンジェの曲がいい曲が多くて覚えたいんですけどね・・・(笑