全力少年 | OG:LIFE

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アニメと写真のおはなし

○私の性格を明確に表す四文字熟語といえば猪突猛進。これ以上ぴったりなものないです。嵌りやすく飽き易く、1度嵌ったものにはそこに向かってとことん突き進んでいくんですね。分かりやすい(笑)実は座右の銘として自分の中でコレだな、と思ってた言葉だったんですけど、座右の銘というか・・性格がそうだっt・・・



日本児童文学で選んだ人が新美南吉だったんですけど、東の賢治・西の南吉と並び称される方なんだそうで。南吉さん賢治だいすきだったみたいなんで同じ人を尊敬する方だからという意味でなんとなく親近感のある方です。賢治好きには同じ匂いがします(笑)少年童話について書くんですが、作品を呼んでて彷彿させるものは鳩山郁子のマンガと長野まゆみの作品。どっちも賢治好きなら通ってるんじゃないかなと思います(笑)先生、、マンガをならびに出したら怒るかな・・・でも鳩山さんの作品はいい作品なので大丈夫だと思う。きっと先生はこの系統のマンガ家は好きだろうと思う・・・・。どうもマニアックそうな。マニアックじゃなければ日本児童文学で喋ってくれるネタがあんなに面白いものばかりなわけがない。聞いてると妄想してしまってジタバタしまs(過去の日記でジタバタしてます)


『久助君の話』でものすごくジタバタしてしまったので、これは・・と思って久助シリーズ全部読んでみました。全部色々ジタバタしました。コレは間違いない・・・・というわけで自分は南吉のこの作品をやらないわけにはいかないと思います。運命だと思おう(笑


作品の雰囲気としては鳩山さんのマンガを出すよりも主に長野まゆみさんの作品を出しそうな気がするので明日は図書館ですね。久しぶりに日曜日の予定が・・・。





○マメコさんのレスで自分史とLOVELESSの立夏の関係を聞かれたのでお答えします(笑)

立夏、「思い出作り」でよく写真とってましたよね?私も写真撮るの大好きなので写真に興味を持ち始めてから強く感じ始めたことなんですが、世の中のものって変わらないものってほとんどないんですよね。当たり前のものなんて何にもないんだなぁと思うと、無性に「今」への執着心が湧いてくるんです。私小説を書く人までひっくるめるのは私小説の方に関してあまりまだ触れていないので回答するにあたって外したんですが、自分史を書く人の目的に自分の生きた証を遺すっていう気持ちが当たり前ですがありますよね。自分が写真を撮る動機の一つである、今をその画面の中に留め置きたいっていう気持ちとつながってるなぁと思ったんですね。立夏の動機はちょっと違いますが、見える形で自分と相手とが関わった証を遺したいという気持ちも同じようなものだと思います。自分史、なんていうものよりももっと身近なものでは、こうやって毎日日記書くのも同じだろうとも思います。記憶はなくなったりしませんが、引き出し方を忘れてしまったりします。私はblogに書くのは一種のトレーニングも兼ねての意味合いも大きかったのですが今ではすっかり趣味の一部です(笑)趣味として書いているものが人から見て面白いと感じてもらえるなんて本当に贅沢な経験だなと思います。レポートうまくいかない時にblogにコメントあると俄然やる気湧きます(笑)コメントをしなくても、読んでいる方が誰かしらいらっしゃるんだな、と思うだけで活力の素です。有難う御座います。



草野 たき, 北見 葉胡
教室の祭り
↑読売新聞に載っていた絵本。「集団の怖さ」について書いてあります。
○新聞の話ついでに他の記事でも一つ興味深いものがありました。「時の余白に」っていうタイトルは、まぁそれだけだったらもしかしたらひっかける程度なのですが、キャッチとして書いてあった「想像力はぐくむ闇」っていうのに興味を惹かれて読んでみました。
日本の戦後文化は光で照らして闇をなくす文化だった、というように表現されていて、「闇の恐怖から遠ざかることこそ文明の道だった」と書いてありました。なるほど。
私この文章を読んだ時に瞬時に愛読している新書に載っていた、宮崎駿がマンガ『風の谷のナウシカ』で描いていた「闇」についての考察を思い出しました。宮崎駿は闇への興味が深い方だと思うんです。それこそナウシカの如く、ですね。
音楽や美術や日常の中で、「幻想的」と思う時って夜が多い気がします。幻想的、という言葉が似合うのは太陽じゃなくて勿論月ですよね。闇の暗さというのは恐怖をもたらすものだけではないと思います。落ち着きたいとき、瞑想にふけるとき、目を閉じるのは唯物的なものと意識を切り離すためですよね。暗闇の中にいるときと同じだなぁと。考える力は夜の闇があるからこそ育ってきたといわれれば、なかなかに説得力のある言葉です。

今日池袋でひとしきりはしゃいだ後、一気に現実的な話を怒涛のようにしてものすごい勢いで焦りを感じて気落ちしたんですけども、こういう日に新聞見ると面白いものが載ってるんですよね。そしてblogに書くネタがいっぱいできます(笑)頭が「何か考えなきゃ」っていうスイッチになっているのかもしれません。私の中の考えるスイッチを押してくれる人は自分の他にもう二人ほどいまして。。。他ならぬボスとイリヤさんだったりします。365日起きている限り常に何かを考えているのは疲れてしまうと思いますが、一日に一回でも何かについてあれこれ考えることは悩むものであっても考えるという贅沢なんだろうなと思います。最近は何も考えない贅沢のありがたさも凄く感じるときがありました。JR東海のCMが頭をよぎりますよ。あんなふうに思い立ってフラっとどこかに行きたいですね。一年に一回は思うスナフキンに対する憧れ(笑)