以下皓司さんにずーっと前にいただいたテーマバトンの『6927』が長々回答できずじまいだったので、前回は『BANANAFISH de 6927』でしたが、今回は『100万回生きた猫 de 6927』で。バトン式の回答ではなくてすみません・・(笑
●双子を扱った作品に印象的な作品が多いのは、自分が双子だからなのかどうなのか分かりませんが、私が好きな作品には双子を扱ったものが結構あるようです。
今回は好きな作品、という分類ではなくて、友人からお借りしている書籍なのですが、前にもチラとあげたアゴタ・クリストフの三部連作の第一作『悪童日記』の双子と私が好きな作品の双子達をセッションさせてみたいと思います。
『悪童日記』以下続編では双子の名前がそれぞれにあり、二人が「ひとり」と「ひとり」として存在していますが、『悪童日記』では彼らは「ぼくら」であり名前は意図的に表出することはありません。そのうえ、この双子は二人で一つの個を成しているように描かれています。お互いの名前を区別しようとも思わず、「ぼくら」という複数形の自称でありつつも「ぼくら」の二つの個の境界線は非常に曖昧なものとしてえがかれているようです。
2つで1つという「ぼくら」認識を持っている双子のキャラクターとして真っ先に思い浮かべるのは吉野朔美『ECCENTRICS』に登場する山田天・山田劫でしょう。この二人は自分達が「特殊」であることを認識した上で、それでも「特殊な」「ぼくら」認識を持っています(ヒロインの千寿と精神的な関係を持つか肉体的持つかの違いで区別されることになります)。また、最近の作品では『桜蘭高校ホスト部』の光と馨なんかも双子ですが、桜蘭の双子の「ぼくら」認識は通常よりも弱依存型というだけで、境界が曖昧なほどいわば己の半身、もしくは影(あるいは光)のような感覚を持っているわけではありません。『ふしぎ遊戯』の青龍七星士の角星と亢星なんかも同じでしょうね。私は『ECCENTRICS』という作品を読んだのはおそらく高校1・2年のころだったと記憶してますが、それ以降「特殊な双子像」に出会うと必ずこの作品を思い出すようになりました。それだけインパクトの強い作品だったということかもしれませんが。
『半神』にはユージーとユーシーの双方の境遇が間逆に入れ替わったことで、「醜いかつての自分」の姿で死んでいったユーシーを鏡に映した自分(半身)の姿から「憎いユーシーのかつての姿」となった自分(ユージー)が想いを馳せるシーンがラストにあります。
あなたは私で私はあなた、なんていうケストナーの双子のロッテみたいな台詞なんかもありますが。あなたは私で私はあなた。この言葉よくよく考えてみるとうすら恐ろしいです。1つの個を二個の物質が共有するというのはまるでパソコンのようですね。1つのハードから分かれているみたいな。
メインで複数を制御するというのが1つの個を共有する双子であるとすれば、逆に1つの物体を複数の個が操作するという多重人格はどういう表現になるんでしょうね。複合機械?ボタンやギアチェンジでパターンがチェンジできる。
双子、について考えるときに、1つの個=1連の記憶の共有というところから、『攻殻機動隊』のタチコマの会話シーンなんかがほんとドンピシャリな感じで非常に興味深いですね。タチコマは機械ですから、いうなれば1つの個を共有するのはコピー、つまるところクローンの話ですよね。クローンの話まで来てしまうとまぁ無理に触れる必要はありませんがエヴァンゲリオンのダミーシステムなんかの話までできる人には飛躍していっちゃいますけど。私はそのへんの知識は不足どころか皆無にちかいのでそこまで話せないですね・・もっと深く理解できるだけの知識があれば、この話をちゃんとまとめて、後期のレポートに出せるのにな・・・。半神の時にも同じアプローチをしたような気がしますが。なに書いたんだったか。
双子といえば『T.V.eye』に収録されているCh-11のナジという名前のふたごとかね。あれはお互いの個は存在しているけど互いに寄り添って生きる感じですが。性格が対極っぽく描かれているのがいいですね。そういうものは半神的な双子なんだと思います。天と劫みたいな双子は悪童日記くらいしか類型されないんじゃないか?それくらい珍しいふたごです。
1つの個を共有しようと思うと、個々の体験が総括される大元のハードは二体の意識世界が合体するアナザーワールドになっちゃうんですね。二体に同じ情報が同じタイミングでいかないとならんわけで。
アナザーワールドに複数の人が円卓囲んで座ってます、っていうのか多重人格ですが、六道骸なんかは6つの冥界を廻った記憶をすべて保有する希有な人物なのであって、六道を廻るのは1つの魂であるから、彼の場合は双子の構造に近く、たとえば、受け皿(肉体)が6世界すべてに同時期に存在しており、精神がトリップできる、なんていうことに・・なりませんかね。最初、骸は多重人格と同じだと思ってましたが、よくよく考えると違うんですね。
私骸ツナで初めて異常な盛り上がり方をした時の
六道骸像って多重人格者だったんです
が。
双子についてあれこれ考えたことが発端になって、
六道輪廻って1つの魂が6つの冥界のいずれかに転生し生と死を繰り返す・・・ってこと・・であってますよね?
だとしたら、骸さんは多重人格じゃなくて、
1つの個と6つの受け皿を持つ人・・・なはずなんですよね。
すべての死して再び生を享ける際に前世の記憶を保持したまま、いわばコンピューターのメモリーのように6つの冥界で生まれて死ぬまでの記憶・経験を全部性格にキープしているありえない人、ってことになるんですね。
それで、「1つの個を2つの物体で共有するパソコンのメインコンピューターとサブコンピュータの関係」が双子だから・・
六道骸ってアレだ。
佐野 洋子
なのよ。
100万回生きた猫って、まぁ同じ世界じゃなくてもいいんだけど、いろんな飼い主に可愛がられて死んで、また別の飼い主に飼われて・・・っていう繰り返しなんですが、この感覚、六道輪廻に置き換えると
飼い主あるいは飼い主が存在する世界=冥界のどれか
飼い主との思い出=冥界でのスキル
で
さらに恐ろしいのは
「100万回生きた猫」もまた
「愛」を知ったことで本当の死を迎えているという点。
ほ ら!!!6927じゃないですか?!
BF6927でしょう?!(もはや記号)
トラ猫が死ぬたびに、飼い主は涙を流しました。
しかし猫は何も感じませんでした。
それは、骸という人物に本当の意味での終わりがないのと同じで・・
白猫との出会いによってトラ猫は
人生で初めて誰かのために涙を流すことを経験します。
猫はそれまで飼い主に愛情を感じたことがなく、己しか好きではなかったのです。
骸の場合、己を誰よりも呪っていそうな点がトラ猫と若干気質が異なるかもしれませんが、
このトラ猫もまた
100万回も生きた猫だからと
みんなに注目を浴びている自分を
おそらく誰よりも
退屈に思っていたに違いないでしょう。
だからこそ、その点に興味を持たなかった白猫に愛情を抱くようになるのですから。
昔、友達のクォーターの子が物珍しげな興味本位で近づいてくる人達が嫌がっていたのを見ていることもありますが、
「特別」というポジションは孤独な世界なので、
そこは寂しい場所なんでしょうね。
「特別」が嫌だ、という
凡人には羨ましいという嫉妬で理解し難い感覚は
つだみきよさんの
つだ みきよ
ファミリー・コンプレックス
を読んでみると
分かるかもしれません。
結局行き着くところと展開的には
吉田 秋生
で書いたのとあんまり変わりませんでした(笑)
- 吉野 朔実
- ECCENTRICS 1 (1)
-
アゴタ クリストフ, Agota Kristof, 堀 茂樹
ファミ通書籍編集部