いつも可愛がってもらってるお姉様方と忘年会と言う名のグータンみたいな会合帰りです音符


イタリアン美味しかった~ニコニコ


コバさんの生パスタもドルチェも、いつもおいしい音符音符ご機嫌ラブラブ



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よしのさんにクリスマスプレゼントまでもらったひらめき電球 



今週は忘年会ラッシュビールビール 

明日は焼肉なりブタ
ぶっちゃけますと、
ここのところ、かなりしんどかった。


体調不良も長引いた中、たくさんのこと考えた数週間。


正直、
『笑うのってどうするんだっけ?』みたいに、笑い方とか解らなくなってた(笑)



でも、
みんなのおかげで、今日はびっくりするくらい穏やかにいられてます。


きよちゃん、しんちゃん、こずを始め、
たくさんの方々
本当にありがとうございます。


もう、ちゃんと前に進むって決めました☆



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チョコバナナ久しぶりに食べたら美味しかった音符
セロ弾きのゴーシュを読んだ女の子の作文なのですが、小学校二年生の子が書いたものです。

とても8歳の女の子が書いたと思えないくらい、主人公の背景にあるものをとらえて表現していると同時に、大人でもまだたどり着けないくらいの境地に達しています。


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だれも気がついていないけれど、ゴーシュの心の中には、へんなものがたくさん入っています。
へんなものというのは、その人によってちがうけど、じこまん足だったり、つよがりだったり、がまんのしすぎだったり、色んなものがあります。
そういうへんなものが心の中に入っていると、本当のじぶんがちゃあんと見えません。

ゴーシュは一生けんめいれんしゅうしているつもりだけれど本当の自分がちゃあんと見えていないので、本当のれんしゅうができていないのです。
本当のじぶんをちゃあんと見ないでどんなにがんばっても、間違ったがんばりかたしかできません。

それは、本当のがんばりにつながりません。
けれども、きせきがおこります。

ゴーシュはあとになって、この時のことを「おれはおこったんじゃなかったんだ」と言っています。

わたしもそうだと思います。
ゴーシュは、本当は、本当のじぶんをしっていたんじゃないかと思います。
でも、本当のじぶんはとてもひどいので、見ないようにしていたんだと思います。
それなのに、かっこうにだめなじぶんを見せられて、そのだめなじぶんにカッとなって、そのむしゃくしゃをかっこうにぶつけてしまったんだと思います。

ゴーシュはひとりぼっちじゃなかったのです。
下手でだめだと思っていたセロは、どうぶつたちのびょう気がなおるのでかんしゃされていたのです。

ゴーシュの心があたたまります。
それでゴーシュは、野ねずみに優しくできるようになったんだと、わたしは思いました。
びょう気がなおってパンまでもらったのねずみは、鳴いたり、笑ったり、おじぎをしたりしてかえっていきます。

のねずみは、ゴーシュの心をあたためにやってきたけれど、ゴーシュのやさしさで、のねずみの心もあたたまったんだと思います。


これが、心と心をくっつけ合うということです。
みんなひとりぼっちじゃないのはいいなあ。たすけ合うのはいいなあ。
ゴーシュが、やさしいゴーシュにもどれてよかったなあ。と、わたしは思いました。

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そして、自分の体験談へと続いていきます。
妹ができて、自分が甘えることを我慢していた話。

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「まきがおかあさんにだっこしてほしいと思った時、いつでもだっこしてもらえるように、わたしはもうだっこしてもらわなくていいの、まきがだっこしてほしいと思った時、わたしがだっこしていたら、まきがだっこしてもらえないでしょう」

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幼稚園で友達と仲良くできなかった話。

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わたしは、もう一ついえなかったことがあります。

わたしは、マクドナルドのハンバーガーが食べたかったのです。
ようちえんで、みんなが、「マクドナルドで何食べたあ」なんてはなしているのをきいたり、

となりのいえのマーくんが、マクドナルドのおまけのおもちゃを、たくさんもっているのを見たのです。
わたしは、年中のころから、ずっとマクドナルドが食べたかったけど、おねだりできませんでした。

マクドナルドはたかいだろうと思いました。
おとうさんは、マクドナルドは食べない人だろうと思いました。
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でもお母さんにだっこしてもらうことができ、心を開放していきます。

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それからすぐあとの日曜日、こんどはだっこの時よりがんばって、わたしは、おとうさんに言いました。「マクドナルドのハンバーガーが食べたいのでかってください」
「いいよ」おとうさんはあっさり言いました。わたしはびっくりしました。
そんなにかんたんに「いいよ」なんて言われると、わたしはびっくりするタイプです。


「おかあさんはね、さきがいつあまえてきてもいいように、いつでもさきがあまえてくるところをあけてまっているの。見えなかった?」と、おかあさんは聞きました。
わたしは見えなかったのです。でも、今は見えます。

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他にも、友達ができないさきちゃんを幼稚園の先生がわかってくれなくて悲しく思い、「わるいせんせい」と言っています。

でも小学生になり、すっかり心を解放したさきちゃんは、

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じつは、わたしは、ようちえんの先生やともだちのことは、あんまり、思い出したくなかったので、わすれようと思っていたのだけれど、このごろ時どき考えます。
ようちえんの先生は、わたしが、「だっこしてください」と言ったらにこにこだっこしてくれたのかもしれません。
ようちえんのともだちは、わたしが、「ともだちになってね」と言ったら、ともだちになってくれたのかもしれません。わたしが心をきつくしていたから、ようちえんの時わたしは、だれともなかよしになれなかったのかもしれません。
わたしは、じぶんがわるいのに、人をわるいとずっと思ってきたのかもしれません。そういうことに気がついた今、わたしは、とてもかなしいです。

(中略)

わたしは、もうこうかいしたくないと思います。わたしは今、本当のじぶんです。本当のじぶんをちゃあんと見て、そのじぶんをたいせつにしてなくさないようにしたいと思いました。

わたしは、いつかようちえんの時の先生に会うことがあったら、「あく手をしてください」と言いたいと思います。その時わたしは心の中で、(めでたし、めでたしです)と、じぶんに言ってやろうと思います。

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自分を客観的に見つめなおし、自分を深く傷つけた相手を許して受け入れています。

すごいとしか言えない。

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今考えると、わたしの「がんばるぞ」は、本当の「がんばるぞ」ではなかったと思います。
「つらいのがんばってがまんするぞ」の「がんばるぞ」だったのです。
わたしは、へんなものがいっぱいで、じぶんじしんもまわりの人も、何もかもちゃあんと見ることができなかったと思います。
わたしは、だれにもあまえないで、心をきつくしてぼろぼろないていただけだったのかもしれません。
だから、いくらがんばっても、つらいことばかりだったのだと思います。
私のがんばりは、がまんするだけで、本当のがんばりにつながらなかったのです。

わたしはゴーシュだったと思います。


人は、みんな、心をくっつけ合って、生きていくのです。
でも、くっつけすぎには気をつけて、みんな元気な時ははなれて、じぶんのことをちゃあんとするのがいいと思います。
わたしは、がんばって大きくなります。

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第47回全国小・中学校作文コンクール 優秀賞受賞作品 

小学校2年生 中村咲紀