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39歳 癌になったママ女医 〜Cancer Gift〜

消化器内科医 緩和ケア医 2児の母 
39歳で子宮頸癌と診断されました。
それからの経験がどこかで何かの役に立てられればと思い、綴ります。
癌の手術や化学療法などの治療に挑む方。
小さな子どものママで癌を患った方。
医師としての自分、母としての自分に。

娘が行きたがった〇〇小学校の結果は不合格。

しかし、幸い第二志望の小学校には合格をいただいていた。

 

両親としても〇〇小学校に一番行かせたいと思っていたから残念ではあるが、第二志望だってもちろん、いいと思って受験した学校だ。

 

そもそも小学校に上がれること自体、めでたいこと。

 

娘には、「第一志望がダメだったから、残念ながらこの学校に行く」という風には思って欲しくなかった。都合のいい話に聞こえるかもしれないが、合格をいただいた小学校に行くことをポジティブに感じて、入学してほしい。親が「仕方なく第二志望」感を醸し出してはならない。

 

 

娘はまだ幼い6歳といっても、「〇〇小学校に行くには試験に合格することが必要で、そのためには頑張って勉強しなければならない」ときちんと理解してやってきた。

たくさんの学校を受験して、合格して行くことになった学校だけをこどもに伝えるという家庭もあると聞いていたが、我が子には通用しなさそうだ。不合格と知ったら、深く傷ついたりショックを受ける恐れがある。

 

 

親がどういう風に伝えて、こどもの小学校への気持ちをポジティブに導くかが、とても重要な気がしていた。

 

 

そのためには、まず親の気持ちを整理しなくては。

 

 

結果発表の翌日、お世話になった幼児教室の担任の先生にご報告の電話をした。先生は、「〇〇小学校に不合格だったことは、きちんと伝えていいと思います。小学校受験で一回失敗を経験している子は、すんなり入った子よりも中学受験をする時に、ぐんと頑張れるケースが多いんですよ。」

その言葉は親への気休めだったかもしれないけれど、幼いこどもでも、今回のことでショックを受ける経験はその子の人生にとって無駄じゃないんだと思える、勇気付けられる言葉だった。

 

 

その電話の後、娘に伝えようと思ったことを、メモした。

書いて整理していないと、娘がショックを受ける様を目の当たりにしたら、私も動揺してしまって思っている大事なことをうまく言えないかもしれないと思ったからだ。

 

 

メモの内容

「一番行きたかった〇〇小学校に行けなくて残念だったね。

お母さんも、残念に思うよ。本当に頑張っていたし応援していたからね。

 

〇〇小学校に入れる人数は決まっているから、たまたま選ばれなかっただけで、頑張りが足りなかったと言うことではないんだよ。

 

代わりに□□小学校の先生は、是非来て欲しいと思って合格をくれたんだよ。先生たちは会うのをとても楽しみに待ってくれていると思うよ。□□小学校に行ったら、きっと楽しく過ごせると思うよ!

 

それに、小学校にいる間に、行きたいと思う中学校を今度は自分で見つけることができるよ。その時は、今回、頑張って勉強したことを思い出して、今度こそは行きたいところに絶対行ってやるぞ!と踏ん張れると思う。

 

ジャンプするときに一回しゃがんでジャンプした方が立ったままジャンプするより高く飛べるでしょ?今回行けなかったのは、ジャンプするためにしゃがんだんだと思えばいいよ。小学校に入ったら、自分のしたいことに向かって、思いっきりジャンプできる。」

 

 

その夜、LINE電話で娘に不合格のことを伝えた。

「〇〇小学校は合格もらえなかったんだよ。」

娘はやっぱり号泣した。

しばらくの間泣いた。

その様子には、さすがに心が痛んだ。

けれど、ゆっくり、メモの内容を思い出して、私は娘に話をした。

夫もポジティブな言葉で彼女の意識を明るい未来に向けた。

 

 

どのくらい娘に親の言いたいことが伝わったかわからないけれど、その電話で話をしているうちに、彼女は切り替えた。

「中学生になるときまた頑張れば行きたい学校に行けるからね」と言った。

もっとショックを引きずることを想定していただけに、驚き。

こどもだからなせる技なのか。

切り替えの潔さは見習いたいぐらいだ。

 

 

「一年生になった〜ら、一年生になった〜ら、友達百人できるかな♪」の歌のように小学校生活を楽しみに迎えてほしい。

 

 

娘の「お受験」。これでやっとひと区切り。