30代の頃の話② | はぴいち~Happy each other~のブログ

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お立ち寄りいただいたみなさん
どうもありがとうございます。

このブログは私の気づきや体験、
また日常を綴っていきたいと思っています。

そして書きながら 常に自分も
自身を見つめ直し、しっかりと自分の道を歩んで行こうと思います。

鬱病の最初の徴候は疲労感だった気がします。
何かしたわけでもないのに、身体がとても疲れているような状態で、とにかく動きたくありませんでした。
家事をするのも気持ちを奮い立たせないとなかなか行動に移せないような感じです。

それでも時間になれば娘を幼稚園バスに乗せ、私は車に乗って仕事に行き、午後2時頃に一旦帰宅し娘の幼稚園バスのお迎えに行って、今度は娘を連れて再度会社に戻り、事務所で娘を遊ばせながら私は仕事をしていました。

休みの日にはしっかり休息を取ったつもりでも、疲労感を感じない日はありませんでした。

疲労感は日に日に増すばかりで、4歳の娘のお弁当に入れる小さなオニギリを作っていると、それが鉛を持っているように重く感じて 泣けてくるのです。

やらなければならないことは たくさんあるのに、気持ちが向かない自分と重怠くて仕方ない身体が情けなくて涙が出ました。

「どうしよう、何か変だ…」と自分で感じたのは、朝干し始めたはずの洗濯物が 干し終わった頃にはお昼になっていた時でした。
通勤途中で車の運転も辛く感じるようになり、途中で車を停めては「今日は休もうか、いや行かなきゃ」と自分と葛藤しながら通いました。

何か変だと思いながら、これといって目立つ症状もないので病院に行くという発想に至りませんでした。疲労感で病院に行くという考えがなかったんです。
もちろん鬱病を疑ってみることもありませんでした。

やるべき事がきちんとこなせない自分が嫌で、それなのに気持ちも身体も思うように動かせない毎日があまりにも辛く、気持ちまでどんどん落ちていきました。

気づくとソファーの下に膝を抱えて座っており、そのまま朝を迎えてしまうことも増えました。
「生きていることが辛いから死にたい」と思うようになりました。
自分の中に自殺願望がある事に気付いた時に初めて もしかしたらこれが鬱病?と疑うようになりました。

死にたいけど、幼少期の私と同じような思いを娘にはさせたくない…だから死んじゃダメ…でもいつか衝動が止められなくて死を選んでしまうかもしれない…それならいっそ娘も連れて逝こうか…いやダメだよ、この子の人生は私が終わらせて良いものじゃない…どうしよう…どうしよう…

こんな事が堂々巡りしていました。

誰かに相談したいとも思いましたが、「あのね、私死にたいの…」なんて話したら、相手はとても困るだろうと思うと、誰にも相談できませんでした。

悲しくなって泣きたくなるのですが、胸が締め付けられるように苦しくて痛いのに、とうとう涙が出なくなってしまいました。
泣きたいのに涙が出ないことで私はとても動揺しました。

やっとの思いでネットで鬱病を検索しました。質問事項に答えて鬱病診断テストというものをやりました。
「鬱病の可能性があります。一度受診しましょう」といった内容が出ました。

自殺を止めてくれるSOSの電話番号も載っていたので控えました。
もしも衝動が止められないと思ったら電話しようと思いました。

これがあればきっと大丈夫…

その時はまだ精神科や心療内科を受診する気持ちにはなれませんでした。
どんな病院かも知らなかったので、受診する勇気がなかったんです。

同じ頃、周りの友人も私の異変に気づいてくれ、どうしたの?と声をかけてくれました。
そこで初めてひとりの友人に自分の状態を話しました。
「でもね、いざって時の電話番号も控えたから大丈夫だよ、心配しないでね!」と言うと「その電話番号教えて」と言われたので伝えました。
すると友人はその場でそこに電話をかけたんです。

でも何度掛けても話中だったそうです。

「分かった?ここに掛けても繋がるとは限らないんだよ。だったら私の所に電話してきて。何時でも平気だから。」友人はそう言ってくれました。

通えそうな心療内科も見つかったのですが、勇気がなくて なかなか予約の電話ができず、受診するまでに一ヶ月も時間がかかりました。

初診の日は一時間ほど時間を取ってもらい、症状や現在に至るまでの経緯などを話しました。
抗うつ剤や安定剤などの薬を処方され、様子を見ることに。
とても緊張しながら心療内科に行ったのですが、行ってみると なんら普通の病院と変わらない雰囲気の場所なんだということが分かりました。


つづく…