朝ごはんを食べるのが遅い! 食器洗いが下手で汚い! 学校から帰ってもロクに話もしない! 何考えてるか分からない!あんたなんて居ても役に立たない!あんたなんか帰って来なければ良かったのに!
毎日何かしらの事で怒鳴られたり叩かれたりしていました。
伯母の家に帰りたくて、部屋にこもっては良く泣いていました。
どうしてお母さんは私を置いて死んじゃったの?死ぬのはお母さんじゃなくて私だったら良かったのに…って夜空の星に話しかけたりもしました。
小学生だった私は、小銭を貯めて家出をしよう、きっと高速道路を歩けばいつかは伯母の家に帰れる…と本気で思っていました。
でも母親から酷いことをされたり言われたりすることは、誰にも言いませんでした。
時々親戚の人と会うと「お母さんは優しいか?」と聞かれました。
私は「うん、優しいよ」と答えました。
いつの間にか簡単に嘘をつく自分になっていました。
私の嘘に、周りの大人たちは誰も気づきませんでした。もしかしたら気づいていたのかもしれませんが、どうすることもできなかったのかもしれません。
日常的に怒鳴られているとその状況にも慣れてきます。日常的に叩かれていると痛みにも耐性がついてきます。
それが余計に母親を苛つかせ悪循環を繰り返していました。
私は学校から帰ると部屋に閉じこもり、家ではほとんど口を聞かない子供でした。
でもその反動からか学校ではとても明るい子供でした。
なので家庭訪問の時に 母から家での様子を聞いた担任の先生は、学校と家でのギャップが普通の子供と反対だとよく驚かれました。
私は役に立つ事が自分の存在理由だと刷り込まれてきました。
日曜の朝に起きると今日一日にやるべきことが箇条書きになってテーブルに置いてありました。それをやらないと怒られるので、休みの日に友達と遊ぶことはあまりありませんでした。
嫌いなトイレ掃除や靴洗いをする時は、「今の私はシンデレラと同じで、いつかここから解放されて幸せになるんだ。」「私は本当は眠り姫で、きっと目が覚めたらこれは全部夢に違いない。」そんな風に思っいながらやりました。
辛いのは今だけ。今の内に嫌なことを全部味わっておけば、きっと大人になったら幸せになれる!だから頑張って耐えよう。そう思いました。
中学を卒業するまで、そんな生活はずっと続きました。外では明るく元気で、家では殆ど口もきかずに部屋に閉じこもる…
親に逆らうこともせず、黙って言われた通りにしました。
「ピアノが習いたい!→家の手伝いがさせられなくなるから そろばんにしなさい!」
「バレーボール部に入りたい!→身体が丈夫じゃないんだから美術部にしなさい!」
「薬剤師になりたい!→薬学部なんて大変そうだから栄養士にしなさい!」
今思い出すと笑ってしまいますが、ぜ~んぶ親の言いなりのコースを辿っていきました。
でも高校生になった頃、とうとう私の思春期暴走スイッチが入ってしまいました。
「これは私の人生だ!この先も全部親に決められる人生なんてうんざりだ!!このクソババぁ~!!!」(笑)
夜遊びをして遅く帰ると玄関で両親が仁王立ち。「何時だと思ってるんだ!」って殴られたら「うるせぇ!」って蹴り返す…。
蹴られた母親は「いつからこんな子になっちゃったの!」とヒステリックに叫ぶ。
母親がいつものように「役立たず!」と私に言えば、「あたしはあんたの家政婦じゃね~!」って家出する。
6歳からのうっぷんを全部晴らす勢いでした。
高校は遅刻、欠席、早退ばかりでしたが、なんとかギリギリ卒業。
特にやりたいことも見つからず、前に親に言われた栄養士の専門学校に行くことにしました。
専門学校もこんな私をよく合格させてくれたし、両親もよく行かせてくれたと思います。
でも素行の悪いままの私に両親が痺れをきらし、「もう学校へは行かなくていい。24時間監視するから家から一歩も出るな!」と言いました。
お付き合いしている4歳年上の彼もいたのですが、別れるように言われました。
そして…19歳の誕生日。
「このまま彼と音信不通になるのは悪いから、ちゃんと話をして別れてくるよ。」
そう嘘を言って家を出たまま、私は自宅には戻りませんでした。
彼は「もうあんな家には帰らなくていいよ。一緒に暮らそう」と言いました。
やっとあの大嫌いな場所から 外へ連れ出してくれる救世主が現れたような気持ちでした。
でも彼の家もじきに私の両親が来る。
どこか別の場所へ逃げよう!
独り暮らしをしている友人を頼って、私たちは何も持たずに家を飛び出し、新しい生活を始めたのでした。
しか~し!!
たった3ヶ月後に私は病室で両親に再会することになりました。
つづく…