2025.12.30
12月2日、父が旅立った。
今年の2月、自宅で転倒し大腿骨を骨折してから、父は病院と施設を行き来する日々を過ごし、最期まで自宅に戻ることは叶わなかった。
骨折、誤嚥性肺炎、腸閉塞、アルツハイマー型認知症…
入退院を繰り返すたびに父の状態は少しずつ、けれど確実に悪化していった。
父は夜間せん妄が酷く、とても不穏になることがあった。
まるで別の世界に行ってしまったようで、私の知らない父の言動を見聞きするのが正直とても怖かった。
そんな父が、ある日こう言った。
「そろそろお前が来ると思って、頭がおかしくならねぇように頑張ったんだよ」
その言葉を聞いた日から、私は父のアンカー(錨)になろうと心に決めた。
そしてほぼ毎日面会に行った。
幻想の世界で不穏になる父が、このままどこかへ行ってしまわないように、私のいる世界に繋ぎ止めておきたかった。
「おまえ、毎日来るから病院で有名人だよ」と父は笑った。
「そんな娘がいるお父さんは幸せね!」と私が言うと、
「そうでもねぇ〜よ」と父は言った。
「寂しいこと言わないでよ。もっと私のこと褒めてくれてもいいよ?」と言うと
「ありがと〜」と照れながら父が言う。
そんなやり取りができる日もあった。
医師から「2〜3日が山です」と告げられたことが二度ほどあり、病院に寝泊まりしながら付き添った日もあった。
父はその二度とも山を越えてくれたけれど、きっと身体は限界だったのだと思う。
亡くなる前日、父はかすれるような声で「頑張るよ」と言った。
私は「また明日ね」と手を振って別れた。
翌朝、父は眠るように旅立った。
「よーく頑張りました。偉かったね。最期まで生き切ったよ。お父さんと濃い時間を過ごせた私は幸せ。ありがとうね」私は父にそう声をかけた。
いつかこういう日が来ることは分かっていたけれど、寂しさや悲しさよりも、父を愛おしく思う気持ちの方が強く、話しかければいつも通り会話ができるような感覚が葬儀を終えた今も続いている。
とても手がかかる父に対して、私自身が疲弊することもたくさんあった。
病院から突然かかってくる電話。説明を聞き、頭では理解していても、気持ちが追いつかない現実。「今度は何?」と苛立つ自分に嫌気がさし、心に余裕がなくなって泣けてくる日々もあった。
治療の選択、今後の方針、延命についての話。どれも簡単に答えが出るものではなく、その決断の重さに何度も押しつぶされそうになった。
病室で分からず屋の父と喧嘩をし、看護師さんに仲裁に入ってもらったこともあった。
ひとりでは到底背負えなかった介護の日々を、多くの方に支えていただいたと心から思っている。
老健(介護老人保健施設)のスタッフの皆さん、病院の医師、看護師の皆さん、ケアマネジャーさん、職場の皆さん…
本当に多くの方の力をお借りして、今の私がある。
感謝の気持ちでいっぱいだ。
これからは父が残してくれた時間と記憶を胸に、私は私の人生を、静かに、でもしっかりと生きていこうと思う。
ピュアでキュートなお父さん。
あなたの子どもに生まれて良かった。
大好きだよ。ありがとう。
はぴいち
