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えっと

最近は、めっきり色ボケだと思います。


わたしの中で、恋っていうのは、すっごい自分のエゴとか、妄想とか、ひとりよがりなものが如実に顕れるものだと思ってるから、そのことを人にいうのはかなりためらいがある。

でも、自分の中で考えてても、結局それは自分の価値観、自分の考えでぐるぐるするだけになってしまうから、ちょっとは外に出したほうがいいのかなぁ、とも思う。

しかし、結局は自分の思い方次第の現象なんだから、どうなるものでもないのかなぁ~。とか。


まあ、不思議なことに、わたしに何年かぶりに好きな人ができたわけですよ!!

しかも、この前実家帰ったら、それをまんまと母に気づかれ、

"え、もしかして好きな人でもできたん?!えぇ~、よかった~、あんたも普通の女の子やったんやなぁー"

とかほっとされた日には、なんか、周りの私を見る目って…って気もちになりましたが。

ええ、まあ確かに、今までのわたしは、カップルとかみると意味もなくとげとげしい気持ちになっていたことは認めざるをえないでしょう。

でも、好きな人ができたとたん、楽しくなってウキウキし、周りに気づかれるそのわたしの単純さもなぁ…。ちょっと情けなくなったり。


ほんと、恋は、経験してみらなわからんわ。

断然毎日が楽しいし。

目下の問題は、相手がわたしのことどう思ってるのかがいまいちつかめないことだけど、まぁそれも別に楽しければよいかしら…(と思い続けて1ヶ月経ったけどね)

それを男友達に話したら、告れ!!気持ちを打ち明けんのは逃げや!!とか言われたけどさ、それはまた別と思うんよ。

っちかんじ!




あ~

sueに気になる人ができたときの気持ち成分分析


もどかしい 15%

じれったい 15%

わくわく 13%

嬉しい 22%

冷静になる 10%

疑う 7%

空想 8%

照れ 5%

結局ほおっとく 5%


今こんなかんじだと思います。


依存するタバコ

わたしの周りは、学部が学部にも関わらず、タバコを吸ってる人が多い。

たぶん、同学年の男の7割近くは喫煙者なんじゃないだろうか。

友達も、男3人集まれば1人は吸ってる人がいるような。

女はあんまりいない気がするけど、女は隠れて吸ってそうだからほんとのとこはよくわからないしなぁ…。


今の時代、タバコは悪いってわかってるのに、やめられないもんなんだ、って思う。

それは、依存のせい。


ある人は、"肺に煙がすーって入る感覚が気持ちいい"っていうし、

ある人は、"女にとっての甘いものみたいなもんじゃね?"っていうし、

でも、体に悪いものだってもう医学的にわかってきてるんだから、わたしの友達や大切な人には吸ってほしくない、って思うのが本当のところ。


それでも、自分のことだから別にいい、

とか言う人を見ると、うまく説得できない自分に悲しくなる。

誰だって、あからさまに、例えば友達が毎日油1L飲んでたり、毎日頭ぶつけたりしてたら、そりゃ止めるでしょ。

みたかんじには異常なくても、体の中では悪いものが蓄積してるよ、って思うよね。

でも、タバコは本人がそれをすきって言ってるから、止めにくい。


世間では喫煙者に対する風当たりも強くなったし、健康にもよくないし、よし、タバコ止めるか!

って思っても、なかなか止められないのは、タバコに依存性があるからだ。

できればその誘惑に打ち勝ってタバコやめてほしい。それぐらい、自分や他の人の健康に気を使ってほしい。


今は、そんな依存性のあるタバコが憎いと思う。


Women married to a smoker

have a 91% greater risk of heart disease.


これは、海外のタバコの広告。

日本もこれくらいドーンとしたやついっぱい作れば意識も定着するのに…


恋についてうんちゃら

女ってやっぱり、ある程度ちやほやされてなんぼ?みたいな。


わたしの周りには今、友達と、親族と、社会生活の上で関わってる人しかおらんけん

いま、恋愛対象としての異性(まぁもしかしたら同性かもしれんけど)としての関わりが全くないんだよね。


でも、世間を見ると、だいたいのものには恋愛、男と女がついてくるでしょ。

本を読んでも、映画を観ても、商品をみても、街を歩いていても、どこかしこに恋愛を匂わせるものが溢れているわけさ。

そういうのを見ると、わたし人生半分くらい損してんじゃないかなぁ…って気持ちになる。

それで、恋愛ってなんだろう…とか思う。

自分が過去、ちょっと恋をしたときは、もう、周りのものがちょっとしたことで明るくなったりどんよりしたりしてた。

でも結局、それは自分の中で完結して、自分の中でいつの間にか美しい青春のページみたいなのの一部になっちゃったりした。

だから、自分の気持ちを相手に伝えて、相手からもそれに対するなんらかの返答を貰ったりしたことがないんだなぁ。


今まで普通の友達と思ってた人から、恋を打ち明けられても、全然その気持ちが理解できなかった。

それは、わたしが人の気持ちをなおざりにした、反省すべき点のひとつだと思います。

でも、今同じことがあると、理解できるかといったらそれはまた別なわけで…。

なんかわたし進歩してないなぁ…って思う。


今恋をしていないからだと思うけど、恋人達が互いに何を求めているのかがよくわからない。

だいたい、世の中に、自分が恋して、相手も自分に恋していて、それで一緒になってる、っていう恋人はどれくらいの割合あるのか切実に調べてみたいもんだわ。

告られたから、まぁ悪くないし、いっかなぁ~。の人がわたしの周りには多い気がするのですけど。

ぶっちゃけ、それは何?見得?寂しさ?肉欲?とかって思うわ。

本当に、魂の半身みたいな人と出会えてるって人はどれくらいおるん?それは恋人じゃないといけんの?


まぁそんなわたしですが、ここ1ヶ月のうちに3人の人にごはんに誘われてね(何これ、この快挙!春だから?って思ってる)、2人は断ったんだけど、ある人とは遊びにいったわけです。

でも、それは別に3人とも、わたしのこと好きっていうわけでは今のとこないような気がするし、

でも、男と女が2人でごはんたべるのって、ある程度分かり合った男友達ならまだしも、あんまりそこまで話したこともない人だったらどうなんかなぁ…。

とか思いつつ、2人は全然その気にならんかったけん断ったんやけど、もう1人はなかなか嬉しいかんじがしてさ。

そんで、車とか乗って、展望台行って、食べ物おごってもらったら(夜中でしたけど。太ります)

あ~、なんか、わたしに欠けてるものの一部をかいまみたような気がしたのです。


男友達とわはははするのとも違う、女の子達とうふふってするのとも違う、

まぁ、これが微妙な男女関係というものか…。みたいな。

なんか、ちょっと女扱いされるとかなりの羞恥心と大きな喜びみたいなんがくるね。

わたしに足りなかったのは、この、自分の中に生まれるしおらしいようなもどかしいような気持ちだったのよ!

…とかを、ちょっと感じた夜でした。


ま~、話とか全然下ネタで爆笑とかばっかりやったけん、全くその人はわたしんこと何とも思ってないと思うけどな。

ちょっと女心を思い出させてくれてありがと!たまにはなんかセオリーっぽく(?)ちやほやされるのもいいもんだなぁ、って思ったわ!















宗教について

わたしは今、宗教というものについて考えている。

いや、考えなおしている。


今までの私は、

宗教は、心の拠りどころ=人生の決断、選択に迷った人が、宗教の教えどおりにする

=自分で行動できる人には必要ないもの

って思ってた。


一番有名なのがキリスト教だと思うので、それについての自分の考えを例にとると、


迷える人 ”わたしは~~で困っています、どうすればいいんでしょうか”

訓示をたれる人 ”それは、皆を愛しなさい、そうすれば、罪は赦されて、~~は~~(好転)するでしょう”


なイメージ。

なので、皆を愛するとか、そんな抽象的で難しそうなことより、実際に--して、--行動して、--って相手に言ってみればいいじゃん。とか思ってた。

そんなの、問題に物理的、対人的に取り組むのが苦手な人が、自分の中で問題を処理しようとしての方法にしか思えなかった。


でも、今回ある本を読んで、もしかして、宗教っていうのはもっと違うものなんじゃないか?

困ったときのお悩み相談室みたいなものとか、、神は何々という名前で、こういうことをしたからこうだとか、儀礼とかの形式がどうとか、そういうことじゃないんじゃないか?

って、やっと、ちょっとハッ!って思った。

たぶん、今まで本当に無関心すぎたんだと思う。


いやしかし、まだ"宗教"というものの定義についてもよくわかっていないんだけど。

この場合、私は、「"人生とは何か"を訓えようとしているもの」、としてみた。

そしてそれは、思想によって理想的な社会をつくろうとするもの!!ではないだろうか。

それを思わせたのが、この一文


あらゆる無神論者にとっては、悪業が許されるばかりか、彼が置かれた状況からの必要不可欠にして最も懸命な活路と認められなければならない


である。これを読んで、

確かに、何かの宗教を信仰している人は、その教えに励むことによって、周囲の人を愛することができるんじゃないか?

反対に、何も信じていない、神がいないと思っている人は、やがて来る裁きの時など気にしないから、自分本位に生きるんじゃないか、つまり、人を悲しませたり、殺したりしても何とも思わない、そんな社会になるんじゃないのか、いや、現に最近起こってる非道な犯罪は、この世で自分の生しか考えていない人が多いからこそ、発生しているんじゃないか?

と思ったわけ。


極端な話、もし世界が、1つの思想…人間に優しい思想…で団結されたら、つまり、例えると、悪いことした人は、必ず裁きを受けるから、してはいけないのだ、とかでまとまったとしたら…

そしたら、皆無害な、安心できる人になって、幼児が殺されたり、親を殺したり、同級生が無差別殺人とか、そんなことはなくなるんじゃないだろうか。



でも、そんなことはたぶん不可能なんだと思う。

1つの面でしか物事をみないっていうのはとても恐ろしいことだから。


でも、宗教は、そういう、"何のために生きるのか"的な要素も含んだものだったんだな、ってことが最近やっとわかってきた。そんなかんじ。

もしかしたら全然違うかもしれないけど。


宗教に限らず、そういう、生きる意味とか、他人の心とか、追いかけっこみたいなことを考えるのは結構楽しい。

哲学も、色んな哲学者がいて、あんまり覚えてないけど、興味深いと思う。


人間は、考えることができて、本当におもしろい。


PV

わたしにもうすこし(かなり)芸術的センスと技術があったら、

ぜひmusic videoをつくりたかった。


あれです、アーティストがプロモーションのときに流すビデオ。

ただその人が歌ってるだけのもあれば、踊ってるのもあるし、物語になってるのも、音楽と融合してるのも、

それは様々だけど、

大抵1つの曲に1つのビデオだから、初めてその曲をきいたときにPVが一緒に流されてたら、

曲にはそのビデオの内容のイメージがすごく残ると思う。


まあ、そんなかんじでわたしが今までみて印象に残ってるmusic videoのうちのほんのちょこっとを…



Switchfoot---Stars


こりゃあ、どうやって撮ってるの?ふしぎ…。水!!


Blur---Coffee and TV

(Quicktime)

お兄ちゃんが行方不明に…。牛乳が捜索の旅にでました!

か、かわいい…☆最後までかわいい。
外国では、行方不明者を牛乳パックに広告だしたりするのね…。


Coldplay---Yellow

最初は真っ暗な海なんだけど、だんだん…。自分もなんかすがすがしくなるね~


Bjork--- All is full of love

(ジャンプ先のplay movie のアイコンclick! QuickTime)

ビョーク似のアンドロイド.....

これははじめて見たとき、なんかこう、エロチックなアート感をびしびしかんじました。

さすがだなぁ…。


気持ちと音楽

3連休をひきずってるんかなんだかわからないけど、

なんかこう、自分の中が不完全燃焼ってかんじ。

気持ちがぐわぁあ~ってする。

なにかをみたい、ききたい、かんじたい。


でももう夜中で行くところもないので

とりあえずの妥協案として、家で音楽を大音量できくことにした。(ヘッドフォンでね)


おぉ…なんか気分が音楽によりそって満たされていくわ~。

こういう、言葉にできない感情の高ぶりを外にだすのにも、音楽っていい役目を果たすなぁ…。と思う。


なんかもやもやしてさみしいんかかなしいんかわからんくなって、外は夜でまっくらで

何もみえないときに

わたしが聴くのは、ゆっくりした曲か、激しく早い曲。

どこまでも自分を沈めるか、反対に攻撃的に力を発散させるかんじ。


やっぱno music no life だな~。










死後について

この前、

主人公が死んで、霊になってこの世をうろうろ(周りには見えない)し、その後何かにのって空高くあがり、

一面の花畑で、天使が舞うところにいって…

っていう映画を垂れ流ししてたんだけど


わたしたちって、死んだらどうなるんだろう。


・小さい頃とかは、天国と地獄があって、いいことした人は天国、悪いことした人は地獄、って思ってた。

確かに、周りの人を傷つけたり、悲しませたり、殺人者なんかは、どこかで裁きをうけるべきだと思うし、

それはこの世での裁判、留置所とかいう、人間がつくりだした社会的なものじゃなく、

根本的に神さまみたいな超越した何かが裁いてくれるといいなぁ…じゃないと不公平だ。と思った。


・それとも、天国や地獄はないけど、

いい人は来世ではまた人になり、悪いことした人は昆虫とか、草とかになる、

そういうシステムがあるのかもしれないと思っていた。


・それとも、

全ての人が天国にいって、先に死んでしまった家族や親しいひとと、永遠に楽しく暮らすの。どんどん人は増えていって、待ってたら、子供も来て、孫も来て、ひ孫やその嫁、またその子供も来たりして、そういう人に会いにいったり、友達のところにいったり、生きていたときのような楽しい暮らしをする。

違うのは、病気がなく、死なないということだけ。

わたしは、今の家族や友達が大好きだから、死んだらこうなるのが一番嬉しい。


でも、この場合だと、その個人の人格があるのかは怪しい。

だって生きてるときに、自分のことが嫌いだって思ってたり、一生自分の人生を憎んでたり、どうしても生きていけないと思って自殺した人とかは、また同じ人格で終わらない暮らしを続けるのは辛いだろうって思うから。

あと、実体はあるのだろうか。ばあちゃんで死んだ人はばあちゃんのまま天国にいるのか、幼くして亡くなった子は、知識のないまま天国で泣いたり笑ったりするだけで発達はないのか、とか。


・浄化された、欲もなにもないものだけがふわふわと集まるだけなのかもしれない。


・でも、魂という概念を知ってからは、もしかしたら、死んだ後今までの記憶を全部消されて、

新しい肉体に宿り、また新しい人生を生きるのかもしれない、とも思い出した。

今いるわたしは、この前までは違う人生を歩んでいた。

今、初めて生きてるようなかんじで生活してるけど、本当は何回も繰り返されたことで、

あるときは一世一代の大事業を成し遂げたかもしれないし、あるときはただ、日々食いつなぐことに一生懸命だったかもしれない。結婚して、子供ができて家族に看取られて死ぬ、大往生のときもあれば、寂しく一人で死んだり、事故で急に死んだかもしれない。

そのときの人生がどんなに楽しくても、どんなに人からの愛とかを嬉しくかんじたりしたとしても、

それは来世には全て消えてしまうことで、また生きていく。


これは、考えるとちょっと悲しい。なんか、今どうなろうが関係ない気がする。

嬉しい人生⇒おわり⇒激動の人生⇒おわり⇒すっごく悲しみに満ちた人生⇒おわり⇒充実した人生⇒おわり⇒ひとりぼっちの人生⇒おわり⇒


っていうふうに、どう過ごしても死んで、また人生を生きないといけないから。


・一番最近に思ったことは、もっと衝撃的だった。

人や、生物は脳で物事を処理し、身体を動かし、維持している。

だから、死ぬっていうことは、脳細胞が死ぬ(活動しなくなる)こと。

だから、それ以上の何でもない。

脳の働きのなかに、物をみたり、聴いたり、認識したり、考えたりする分野があっただけ。

そこが停止すれば、終わるだけ。

人生の記憶は海馬に残ってたけど、それも働かなくなる。

ただ、なくなるだけ。


全部、脳の神経細胞や、化学反応や、分子の輸送とかで、わたしたちは動いていただけ。

一つ一つは物質でしかない。

だから、脳を障害された人は自分で思考したり、四肢を動かせなくなったりするわけだし、

考え、認識することができなくなったら、そこに人格はなくなっていると思う。

それは、脳死は死か否か、という医学の大きな論争に首をつっこむことにもなるんだろうけど、

人格を形成してるのが脳であることは間違いないと思う。


そんなことを考えたら、なんか切なくなってしまった。


まあ、わたしは今の自分、暮らし、環境がすきだから、

もっと、自分にどんなことができるのか試してみたいし、色んなことも経験したいと思う。

急に動けなくなったり、死にそうになっても、なかなか生きたな、って思えるようにこれからも生きたい。






栗原さんちのごはん

今日は、わたしの大学では前期入試のため1日中休講でした。

なので、ここぞとばかりにおでかけ!福岡に!

平日の福岡なんてあんまりいけないので、なんだかわくわくしながら行きました。


いつもお昼は学食で食べるわたしたち。こんなときこそ、平日なのに素敵なところでおいし~いお昼気分☆っていうのを味わいたい!と思い、選んだのはココ↓

ゆとりの空間

ここでは、日本を代表する料理研究家の栗原はるみさんのオリジナル料理が食べられるのです


栗原はるみさんの料理は、ムリのない材料で、家庭的かつ食材の素敵なハーモニーが味わえる、あったかい料理なので、わたしはいっつもレシピを眺めながら幸せな気分に浸っているのですよ。

見てるだけでもそんなに和むのに(つくれ)、お店でそれが実際に食べられる上に、

なんとビュッフェ形式で、35種類の、野菜が主役の春の料理が*:..。o○☆


11時に博多駅ついてから友達と小走り・・!して、キャナルシティにつき、お店をみつけました

お店の中は素敵な空間が広がっており、なにより料理が…!

あの、おいしそうな栗原はるみ料理がいっぱい…!!

以下わたしのつたない撮影ですが(盛り付けセンスもなし)、ちょっとでも雰囲気を味わってください



味は、どれもおいしかったです☆もう、多彩な味わいの世界が~そこに!

野菜がたくさん入ってて、見かけもキレイ

こんなのつくれたら本当に最高だよねぇ…。とウットリしながら食べました。

友達が1皿食べる間にわたしは2皿食べてました...



ちゃんとデザートも食べて、最後にずらりと並んだ料理をみながらこの中のどれか1品だけでもつくれるようになろう!

と、決意して店をでたのでした。

その後もお買い物をして、ついでにメガネも買っちゃったのですが、それはまた機会があれば☆

おいしいごはんは人を幸せにするなぁ~

満足してうちに帰りました。





髪きった~

髪をきりました!

友達から、こっちのほうがsueっぽい!と言われた。

それは、前髪が眉上まで短くなったことを言っているのか…?!


確かに、切るまでの髪型は結構頑張って伸ばして、いつの間にか前髪がかなり伸びてたんで

じぶんでも大人っぽい…?とか思っちゃったりしてたんだけど。

髪伸ばしても、アレンジできないしな~。なにかと鬱陶しいしなぁ~。

とか思って、やっぱり切りました。

たまに首が肌寒いけど、ああ、動きやすいわ~。

おしゃれの道は厳しいのね。


しかし、人は髪型しだいでだいぶ印象がかわるものなのね。

あと、イメージがなんかついてくるかんじ。

短い髪は活発で、長い髪は大人っぽいとかいう概念はどこからきたのだろうか…?


日本人の髪型の歴史も、

男は美豆良(みずら)から始まって、丁髷(ちょんまげ)、ざんぎり、リーゼントといったかんじにその時代によって髪型は変わっていったし、

女だって垂髪、銀杏返し、シニョンスタイル、聖子ちゃんカットとかいろいろ変遷を経てきたわけだよね…。

その時代にはだいたいの人がその髪型をしていたっていうのが、理解できることでもあるけど、やっぱちょっと奇妙だな。


今はあんまりそんなこともないけど(でも雑誌とかみると、雑誌によって似た髪型ばっかりのモデルがでる気も…)昔とか、他の人と同じ髪型にすることに、何の疑問も覚えなかったんだろうなぁ、って思う。

髪は何か、成人とかを象徴していたのかもしれないし。


でも、今はそんなことない。みんな好きな髪型をしてる。

顔の輪郭やパーツ、好みや性格が違うんだから、やっぱり髪だって一人一人個性がでるはずなんだよね。

でも、頓着しない人は鬱陶しくなったら切る、っていうかんじだったり、逆に周りを気にしすぎる人は一般にかわいいといわれている髪型にしたり。

おもしろいなあ。


そんなわたしは最近おしゃれメガネなるものに興味があるよ。