2011年3月11日の事は、決して忘れる事はありません。あの日の前の事は遠い遠い昔の様な感覚です。

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まず前置きをしておきますが、私は直接の被災者ではありません。それでもこの日の事は、心に深く刻まれています。現地の方の思いは、私の及ぶものではありません。

あの日あの時間、私は地下鉄大江戸線清澄白河駅で地下鉄の車内にいました。
車内で急病人という事で、少し長く停車しています。

なんとなくユラっとした様な気がした次の瞬間、これまで体験したことのない揺れが襲ってきました。

地下鉄の座席の1番隅に座っていた私は、とっさに手すりにつかまりました。でも隣の女性は座席から振り落とされ。それくらいの揺れでした。

ちょっと間が空いてもすぐに来る次の揺れ。でも乗客はみんな落ち着いていました。駅員さんが叫んでいたのです。

「地下鉄は大丈夫です!」

しばらくして大きな揺れが一段落すると、今度はこんな声。

「地上に上がってください。」みんな落ち着いて駅から地上に上がりました。

上がっている最中は少し不安でした。地上はどうなっているのだろう。でも大きく破損している様に見える建物はありませんでした。

それでも建物から外に出て呆然とする人たちの顔。忘れられません。

鉄道網がもう動かないということで、事務所まで歩き始めました。すぐにあるのが清洲橋。ここを渡っている最中にサイレンが鳴りました。

津波警報です。

隅田川の水位が上がるという事は感じませんでしたので、津波を実感する事はありませんでした。あんな被害が出ていることを知ったのは夜中に帰宅した後のことです。

震災からの復興は、正直あまり進んでいません。仮設住宅で生活されている人もたくさんいます。

さらに昨年は熊本でも大地震が起き、私たちが地震とともに生きなければならない宿命を負っていることを実感します。

東日本大震災で被災した友人が言っていました。ハザードマップを見る様にと。

実際に見てみると、私が徒歩帰宅したルートの多くは、火災危険地帯でした。
首都圏の大地震だったら、命を落としていたかもしれません。

東日本大震災では、そして昨年の熊本地震でも多くの方が犠牲になりました。

今私たちにできる次の地震で被害を少しでも軽減するために何ができるのかを考え、実践すること。

それが犠牲になった方々の思いに、少しでも応えることなのではないかと考えています。