
朔太郎が何故つまらないのかが分かった気がした。
この人は読者に間接的に感じ取って貰わなければならないものを、
直に言ってしまっているのだと思う。
この本には『幻想』とか『のすたるじや』とかいう抽象名詞が結構な頻度で出てくるのだが、
本来それらの言葉は直接文中で用いるべきではなく、
むしろ具象を表す名詞を積み重ねることで読者に感じ取って貰わなければならないもの。
要は『幻想』って言葉を直に読んでも、
読者が『幻想』を思い起こすことはない訳で。
それなのに朔太郎さんは得意そうに『幻想』『幻想』と文中で連呼するので、
読み手としては苛々させられっ放しである。
こういった抽象名詞の乱用も読み苦しいけれど、
その他にもいろいろと読み苦しい点がある。
読み苦しい点の一つは、朔太郎のナルシシズムのきつさ。
ぶっちゃけ詩人は皆ナルシストなのだろうが、
朔太郎に限っては、詩中で「詩人である自分」を褒めるのに妙に熱心。
これだけ自分を褒めるのが好きな詩人は他にはいないと思う。
僕個人は「自作詩の中で、詩人である自分を褒める」
というやり方に違和感を禁じ得ない。要は嫌い。
これらのアカラサマな自己言及および自己称揚と、レトリックの貧相さは、やばい。
朔太郎さんは詩人というよりも詩論家、
またはアフォリスト(説教を垂れるのが好きな人)だと思う。
この人に詩人としての名声を与えたのは、果たして誰なのだろう。