かつて生き物を飼い殺しにした経験のある私は、
「文鳥」を読んでみて、昔の古傷を抉られたような心持ちになりました。

飼っている内にだんだん世話をするのに飽きてくる下りには共感しました。
でも漱石先生は世話に飽きてしまってからも、やけに事細かに鳥籠を観察していますよね?
そんなに事細かに観察するくらいならちゃんと世話すればいいのに、と思ってしまったり。
飽きたら観察するのも嫌になりませんかね?

描写力云々はケチの付けようもありません。
しかし前科者の私が言うのもなんですが、
文鳥を昔自分が好きだった女になぞらえた挙句に飼い殺し、責任を家の人に転嫁する、
という筋書きは趣味がいいとは思えませんでした。
偉い文学者であれば、生き物を飼い殺しても全然構わないのでしょうかね?

目次
・文鳥
・夢十夜
・永日小品
・思い出すことなど
・ケーベル先生
・変な音
・手紙

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