後に続くもの | FDSブログ

後に続くもの

恩送り、という言葉があって。

受けた恩は受けた人に返すのではなく、
別の人にその恩を送ってあげなさい、という言葉らしいです。

親から受けた恩を子に返すみたいな。


なるほど確かに恩は返してしまえばそこで終わりだけど、
次から次へと送っていけば、永遠連綿と続いていくというわけ。
面白い考えだと思う。昔からあったそうだけど、知らなんだ。



大学の部活とかサークルでも
「先輩におごってもらった分は後輩におごってやれ(フンスフンス」
みたいなしきたりがあったりしますね。
自然とそういう文化が成立するのはとても興味深い現象だと思います。


んで、まぁ、そういう部とかサークルというのは、
大学生なんていう面倒な生き物が
寄り集まって過ごしているわけですから、
まぁ、なんだ、
色々と問題にぶち当たることもあるよね。と。



きっと大人になって会社とか何かしらの組織に入っても、
色々な似たような問題にぶち当たるのでしょう。くそが。



で、話が大げさだと思われるかもしれませんが、
そういった時には、
身を犠牲にしてでも「自らの信念に殉じる」というのが
美しいとされてきました。


んでも社会の変化か分かりませんけど
「綺麗に死ぬより汚く生きろ」というのを
メッセージとした作品も、最近は多い気がして、
(ソースは週刊少年ジャンプ(ドヤァ… )
それも1つの価値観として定着しつつあるのかなぁと
思ったりしてます。


で、まぁ、そんな現代日本に生きる私たちは、というか僕は
どっちが正しいのよと思ったりするのです。


でも、そもそも。
何故人は綺麗に死ぬべきなのか、汚く生きるべきなのかと
考えてみると、
案外この2つは同じものなのかもしれないと思った。んですよね。


信念に殉ずるのは、次の世代に正しい道を示し、
彼らの勇気を奮い立たせるため。
汚くとも生きるのは、後に大義を為して次の世代が
すみよい社会をつくるため。


どちらも、次の世代にとって何が得であるかを考えた上での
結論と解釈すればよいのではないかと。思った。の。です。


今後どう動いていくか分からなくなった時は、
「後に続くものたち」にとって、何が最善だと思うか。
それを考えてやってみようかな、と。
僕は思ったのでした。



僕の例に合わせて具体的に言うなら、
漫研視文研に「作りに」来た子が楽しく制作をできるように、
僕は真摯に創作に打ち込む前例でなくてはならないのだ、

と、いうことです。


誤解を生む言い方しかできないけれど、
作らないで消費ばっかりしてるのは、
もちろんそれはそれで仲間もいるし、楽しいのだけれど。
もったいない。と。僕は。



だから消費しかしない奴は死ねとか消えろとか、
そういう話ではなくて。
多様なニーズが共存できる社会がいいなと。思った。のよ。


僕が大学にいるうちにヒーローみたいなお絵描きができるとは
思わないけど。
もう少しなりふりかまわず教える人でありたいと。
思ったの。でした。
そのぶん僕も教わりたいし。




まぁ、今は何より、院試です。