わたしたちの教科書、最終回を見て。 | FDSブログ

わたしたちの教科書、最終回を見て。

‥‥うーむ‥‥。


うーむ、しか今は感想が言えません。

最終回にして鬱展開キタコレorz真相っていつも残酷なモンですね。

フジテレビのドラマでこんな展開を見るとは。


うん、面白い(という表現が妥当かどうかはさておき)番組でした。

でも、意見が分かれそうですね。

いじめをなくすカタルシスを感じたかった人にはモヤモヤかも。

いや、その番組のテーマはそれじゃないコトにさっさと気付けなかったのが

問題なワケですが。

んな単純なストーリーじゃなかったでしょう。


んー、でもなぁ、最後の「世界を変えることは出来ますか?」に対する

生徒たちの答え方がハキハキし過ぎでちょっと違和感あったかなぁ‥‥。

筆が走った?もう一週分あった方がよかったかも‥‥。



いや、でも、よかったです。


「自殺をしたら悲しむ人が誰にでもいる、

それは過去の自分、未来の自分」


という発想はなかったかも。


過去から未来へ。

たすきを渡して時を超えて。

長い人生を生きていく。

誰に生かされているわけでもなく、

自分自身のために。


周りの人の存在って確かに大事だし、何よりも素敵なものだけど、

やっぱり時々その存在に押し潰されてしまいそうになる時もある。

その時、自分を支えてくれている人の中には、

自分自身もいるのだということに気付けたら、

きっと少しだけラクになれるんじゃないかなぁ。






「世界を変えることは出来ますか?」



月丸は出来ると思います。

世界というのは、個人が自分の目や耳を通して感じるもので、

それぞれが感じる世界は違うものです。

そして、もし好きになれないなら、

自分が楽しくなるようなものに、

自分の信じるかたちにするために、はたらきかけることができるものです。

与えられた不満足な世界で何もせずにいるのなら、道端の石ころと同じです。


はたらきかけるとは、自分で動くということ、足掻くということ、叫ぶということ。

助けを求めるということ、人の心を動かすということ。


そしていつか、自分の目に映る世界が、耳に聴こえる世界が、

楽しいと思えるようになったのなら、

それはきっと、世界を変えられたということなのではないでしょうか。


世界を変えることと自分を変えるということは、同じことなのだと思います。