Do you love JAPAN?
本日4本目。
ブログの記事からも分かるように、最近脳が腐っていて、
このままだといろんな人に白い目で見られるんじゃあないかと
ドキドキしてしまって新TOPに手がつけられないので、
マジメな話題を書きます。
愛国心。
愛スル 国ヲ 心。
レ
漢文風に書くとこんなんですかね・・・。
いやいや、何を書いてるんだ自分は。
ゴメンナサイ、今度のTOP絵に漢文が入るので・・・つい。
えーと。
愛国心ってなんなんですかね?
先日の朝日新聞なのですが、
どっかの都立高校で、
校長が来賓を選別したりしたそうです、君が代問題で。
君が代問題ってアレですよね?
たとえば、
国歌斉唱の時に起立しなかったり、
国旗の方を向かない先生とかがいらっしゃったりで、
その先生を「愛国心に欠ける」として処罰したってヤツ・・・。
えーと、
今回のニュースの概要はこうです。
http://www.asahi.com/life/update/0310/007.html
ふーむ・・・。
なんかうざったいです。
コレって、
個人が国を好きかどうか、じゃなくて、
都教委を好きかどうか、って言ってるようなものなのでは?
そんなに体裁が大事なんですかね、お偉い方々は。
俺を好きになれー!
ならないと処罰するぞー!
って言われてその人を好きになる人なんかいるワケないのに・・・。
私を好きになれですぅー!
ならねぇとぶっ殺すですぅー!
だったら、いるかもしれm・・・何でもないです。
元ネタ聞かないでください。
最近ラジオ好き君がコレに興味を示し始めtげっふんげっふーん。
ハイ、脱線しましたスミマセン。
愛とかそういう感情は、強制して生まれるものじゃないと思います。
耳にやさしく目にうつくしいものを引き合いに持ってきて、
自分の醜い欲望をごまかそうという魂胆が見え見え。
そんなことやっていたら、ますます国歌を歌わない人が
増えていくのではないでしょうか。
そういえばいましたねぃ。
「全国の生徒に君が代を歌わせるのが私の仕事です」とか、
バカな発言をした教育委員会かなんかのお偉いさんが。
自分の仕事をちゃんと分かってなければ、その仕事から得るものもないし、
そこからのレベルアップも望めない。
当の政治家とかがよく馬鹿にするニートとそんなに変わりません。
困った時はスタート地点に帰るという鉄則がありますが、
それに従ってみましょうか。
縄文時代とか、弥生時代とか、そこら辺までさかのぼってみましょう。
国、つまり「クニ」というのは「ムラ」の集合体なワケですよね、本来。
で、「ムラ」というのは、そこに住んでいる人々の集まりなワケで。
つまり、
「人々が集まって住んでいる」という前提があって、
はじめて「ムラ」が成立するワケです。
・・・10歳くらいの子がコレ読んでたらイミ分かるかなぁ・・・。
で、これと同じようにして、
「ムラが集まって存在している」という前提があって、
はじめて「クニ」が成立するワケです。
では、
そもそもなぜ人々は集まって「ムラ」を形成するのでしょうか。
まぁ、カンタンですよね。
全部1人で
狩りをして田んぼ耕して木の実採って服作って家補修して
とかやってたら、忙し過ぎて
原始の時代にまさかの過労死が発生してしまいます。
1人では、時空もしくは物理法則を超えないと、
日々を楽しく過ごせないのです。
だから、ヒトは群れる。
仕事を分業して、
アリバさんは狩りをして、イスタ君は田んぼを耕して、
ウラちゃんは木の実を採って、エルマさんが服を作って、
オバジのアニキが家を補修して。
これだけでも、かなりの時間短縮になって、余裕が出来て、
日々を楽しく過ごせるのですね。
で、生活が豊かになると、
その分「あれしたいなー、これやりたいなー」という、
発展欲が出てくるワケで、
それぞれの仕事の人数を増やしたりしなくてはならなくなったり、
新しい仕事をこなすヒトが必要になります。
土器作ったりとか。
となると・・・
まぁ、人数は増えますよね、グループの。
そのままにしていても、
結局子どもを産んだりして人数は増えますし・・・。
で、こうしてムラができていったのではないかと思っています、月丸。
正確なトコは知りませんが・・・。
で、いくつもムラができて、
戦争とかで土地を奪い合ったりもしながら、
クニが形成されていくのです。
こうして考えると、
クニなんて、
ヒトが発展しようとして結果的に生まれたものでしかないように思えてきます。
まず、
「ぼくは このひとのことが すきだなぁ」
という個人間の愛情があって。
で、次に
「みんないいひとたちだから ぼくは このむらのことが すきだなぁ」
という個人間の愛情の集合体のオマケとしての郷土愛があって。
で、他のクニの様子とかを知ってはじめて、
自分のクニの特徴に気づき、
「ここにいてよかったなぁ」
という漠然とした愛国心が生まれるのではないかと。
愛国心が大事と言うなら、
まずは個人個人が
心のふれあいを大事にできるような世の中を作るべき。
ヒトとヒトとのつながりの上に、
愛国の心は成り立つのだと思います。
そして、その愛国心が人間と人間の心の絆に基づくものである以上、
真の愛国心を持った人間は、
国の為に死ねと言われて死んだりしないと信じています。
今のお偉いさん方が言ってるような愛国心は、キモい。
「国の為に死ねって言うのか!」
と言うと、こういう方々は
「いや、そうではなくて、他国にはない自国の文化を誇り、
日本国民としての自覚を持って・・・」
とか言い出します。
「国の為に死ねと言っているのではない」のですか。
そうですか。
・・・そうですか?
「個人が勝手な意見で、
国の中枢が定めた決まりである国歌斉唱に従わないのは、
全体の日本国民としての統一性、調和に欠けるので、認めない。」
つまり、
「『全体』のために『個』を犠牲にし、
その『全体』の基準を決めるのもまた別の『個』」
という現状は、
まさに
「国という全体で、俺が定めた調和を保つために、
たかだか一個人のお前の権利は認めない。」
ってコトじゃないかと思いますが。
全体の利益なんて考えてないクセに。
自分が叩かれないように楽したいだけのクセに。
100%正しい意見なんて存在しない。
だから話し合いが大事だというのに、
その話し合いの機会さえも設けないというのだから、いよいよダメダメ。
「話すことは何もない?」
あなたになくてもこっちにはある。
文句という文句が山ほどある。
結局、現実を見ようとせずに、
自分の意見を押し通そうとしているだけに過ぎません。
それはつまり、コミュニケーションの断絶にほかならないですよね。
つまり、ヒトとヒトとのつながりの断絶、欠乏、消滅。
あれれ、
これがないと、そもそも愛国心なんて生まれないんじゃないんですか?
まぁ、コレも一個人の推測に基づく仮説ですけどね・・・。
愛国心の大事さを語る人間が、
実際のトコは愛国心の断絶を推し進めているなんて、
なんてムジュンなんでしょうか。
気づかないのか、
気づかないフリをしているのか。
ホントのところは、
一番愛国心に興味がないのは、
愛国心を声高に叫んでいるお偉いさんの皆様なのかもしれませんね。