ジレンマ。 | FDSブログ

ジレンマ。

「長いもの」と言いつつ、最近母が口うるさいので長文書ける自信はないです。

・・・・・・。

・・・いや、何も言うまい。


さて、「ジレンマ」というワケですが。


何事にも、触れてはいけないトコというものがあります。

「地雷」とも言いますね、比喩的に。


受験勉強や、難しい資格試験の勉強などにおいて、

踏むとヤバいのは、


「人を否定して傷つけるのはイヤだ。

でも自分は受験という競争の中で、

自分のために他人を蹴落とし、傷つけている。


と思ってしまうコトですね。


(あと、指導者がメッチャ命令口調のイヤ~なヤツだと

「何かコイツのために勉強してるみたいでイヤだけど、

勉強しないと試験に受からない」ってヤツですね;)



月丸も中学時代、思っちまいました。(2つとも)



で、最近も時々思うのです。

メンドクセぇヤツですね、我ながら。


中3時代、高校受験の勉強中に、母に

「自分が受かったら、必ず他の誰かが落ちるんだよね、それって何かイヤだな」

と言ってみたら、


「本当にその高校に行きたい人が受かるんだよ」


と言われました。


今現在もこのジレンマを感じているコトからも分かるように、

そんなのはとても月丸には納得できませんでした。


だって、そもそもみんなが本当に努力した上で、受験に臨むのですし、

みんなが120%の努力をしたところで、結局誰かが落ちるのです。




スポーツの世界では、勝者と敗者がいます。

だから、受験や人生にも勝者と敗者がいて当たり前。


まぁ、そりゃそうですよね、とかもちょっと思うのですが。

・・・でもやっぱり腑に落ちない。



・・・というワケで、

もう少しこの物分かりの悪い高校生の妄言にお付き合い願います。



なぜ腑に落ちないのか。


①その勝負を好きでやっているかいないか。


スポーツをやっているのは、基本的に好きだからですよね。

嫌いならやめればいいのですから。

でも、受験勉強が好きな人はあまりいません。

嫌いでもやめるわけにはいきません。


嫌いなのをガマンしてやった人を蹴落とす。

それがイヤなのだろうか。


なら、勉強を好きになればいいのですね。

勉強が好きな人と嫌いな人。

2人が競争した時、嫌いな人が負けたなら、

「勉強が嫌いだったのがあなたの敗因」で済むような気がします。


あれ?さらっと残酷なコト言ってますかね;

でも、物事を楽しめる人が勝ったなら、

負けた人も何となく納得できる気がしませんか?

・・・あ、しませんか・・・。



んー、でも、それだけじゃまだ納得できません。

どうもスミマセン・・・。


②それが人生を左右するかどうか。


スポーツは、たとえ負けてもその経験はその後の人生に生かせます、が。


受験は、「負け」になったら、相当その後の人生が不利になります。

たぶん。

また這い上がっていくのは可能ですが、

それには相当の運、気力、実力が必要になってきます。


なんだかんだで、学歴で人を見るのが手っ取り早いですからね、就職の際は。

面接だけじゃホントの実力なんて分かりきれませんから。



でも、人生は長いから、

多少回り道したっていいじゃない、とも思います。


ですがですが。

自分が回り道したいかと聞かれれば、

たぶん、できればまっすぐ直行したいと答えるのではないでしょうか。


それを人に強いるワケですよ、受験という競争に勝った場合。



あぁぁぁぁぁ。

コレはやっぱり禁断の議題だったかもしれない・・・。




・・・ん?


あ。



月丸は、社会の競争に疲れてしまった人を癒す、

カウンセラーという職業を目指しています。

まずは大学、その後は大学院ってコースですね。



・・・宿題全然解けませんが。

・・・大丈夫なのでしょうか・・・(シラネーヨ


でも、一応、

カウンセラーにはとある資格があると便利で、カウンセリングにも役立つのです。



そう、資格。


資 格 試 験。

ギャース。


人を癒すために、人を蹴落とす。


おぉ、ニュージレンマ。


いやー、でも、まだ不確定の先の話ですし・・・






・・・いやいやいや。

ココまできて引き下がっちゃ、記事が中途半端になってしまうだろうが。






そうか。

なんとなく分かった気がします。


以前部活を辞めた時、その大きな要因は、

「人が人が」ばかりで「自分がどうしたいか」を見失っていた、というコトでした。


で。

しかしながら、今、こうしてまた別の問題にぶつかってみて、

「自分がどうしたいか」だけでは、やっていけない気がしました。



ワタクシゴトで恐縮ですが、

FDS本体の中での駄小説(「Soul Tapestry」)の第六話あたりの中で、

「傷つけ、傷ついても前に進まなきゃ」というセリフを

苦悩系のキャラに言わせた記憶があります。


月丸も、彼も、たぶん、この言葉を100%信じ切ることはないと思います。

なぜなら、悩むこと=悪いことではないから。

人を傷つけることを完全に肯定してしまうのは、信念に反するから。


そういう裏のイミも込めてます。



だから、彼は、きっとこれからも悩むでしょう。


いや、この「傷つけ、傷ついても~」というセリフ、某マンガの個人的名言から

影響を受けてるのですが、たぶんその作品でも、

そういうイミが込められていたのではないかと。


この記事で書いているジレンマについても同様に、


「でも、それでいいんじゃないかなぁ」、とか思いました。

100%正しい答えなんてないだろうと。


たぶん、この問題で悩む誰もが、

何かしらの答えに妥協して、

その答えを信じきることなく、不安を抱えて生きているか、

何かしらの答えを真実だと決め込んで、思考を止めている。


「真実」に安住するよりも、不安定な「回答」に、

いろんなコトバをくっつけて理屈こねまわしてオロオロしてる方が、

人に対して共感できて、人を安心させられるような気もしたのです。



月丸は「信念」というコトバが好きです。

絶対に譲れない、最後の一線。

それが、信念。


でも、それは、実は結構不安定なモノなのかもしれません。

他人の言葉によってブレたり、折れたりしてしまうもの。


それでも譲りたくない。


そんな悲愴な決意みたいなものなのかな、と。

そしてそれこそが、この問題をひとまずの解決に導くカギなのかな、と。



弱い人間こそ、最高の人間。





さて。

ハナシがだいぶズレてきて、ぶっちゃけドコに着地すればいいのか

月丸自身にも分からなくなりつつあります。


この受験戦争に対する答え、

明確な答えは出ませんでした。

でも、この答えで今は充分です。



受験戦争。

キレイゴトをいくら並べても、結局納得できない。

でも、だからと言って、自分の夢を諦めることもできない。

夢が無くては、追い求めていかなくては、生きているとは言えないから。


人を蹴落とすのは、「人を傷つけたくない」という信念に反する。

でも、その信念の大元は、「人を救いたい」という信念。

その信念のためには夢をかなえることが不可欠。



人間は、自分の夢や信念を貫く時、

直接、もしくは間接的に必ず誰かを傷つける。

意識しようと、しまいと、その「悪」からは絶対に逃れられない。


それでも、

貫いた先に、きっと誰かの笑顔があるはず。

自分の信念や夢が、

きっと誰かに勇気を与えるはず。感動を与えるはず。救いになるはず。

その「誰か」は、自分が傷つけた人だったりすることだってあるかもしれない。


だから、

その奇跡を信じて、

不確かな信念の下に、またフラフラと歩き出そうと思いました。





そう、宿題全然終わってませんしねorz