見逃さなかった。(たまたま
どうも。
本日2本目です、正確には。
今日の「とくダネ!」(月~金 朝8時 フジ系
に、イトイさんが出てました。
小倉智明さんと「団塊の世代」についての対談、ということで。
そこで、「どう続けるか、どうリタイアするか、どう生きるか、どう死ぬか」
みたいなコトで話してました。
「(歳をとって、仕事が)イヤになったら辞めればいいじゃん」って
イトイさんはいつものイトイズムでした。
ん、でもやっぱりそれは今に至るまでに頑張ったから言えるんだよなぁ、と。
で、
どう死ぬか、みたいなハナシになった時に、
「死んだ後に何を残すか」っていうハナシになったワケです。
小倉さんは「何かカタチになるものを残して
『ここまでは俺達が頑張ったから、後はお前達が作っていってくれよ』」という
スタンス。
イトイさんは「何かは別に残さないけど、物事のノウハウ・方法は伝える」
というようなスタンスでした。
どちらが間違っていてどちらが正しいというようなコトはありませんが、
・・・じゃあ、月丸はどっちがやりたいか。
そんなコトを考えたワケです。
いや、高2が考えたところで、意味がないと言えば意味がありませんが、
気になったものは仕方ない。
まず、小倉さんの意見。
いいところは、世代ごとに確実にどんどん進歩していけること。
わるいところは、方向性が最初の世代で固定されてしまって、
後の世代は「与えられた土台でモノを作る」というカタチになっていくこと。
イトイさんの意見。
いいところは、世代ごとに自由な発想がより効きやすいところ。
わるいところは、進歩のスピードが落ちるかもなところ。
どっちも面白そうなんですよねー。
でも、父親が漫画家である月丸としては、
親が残したカタチをそのまま受け継ぐのは、キツいかもなー、と。
自分の味が出せなくなっちゃいそうだな、と。
親が器用で、自分が不器用なので・・・。
漫画は、カタチというよりも、ノウハウ的なものに近いものがありますが。
親が残した、カタチというよりも、オーラというか、生き様というか、
を基にして(というかそれから学んで 、何か新しいコトをやりたい、
月丸はそう思います、どっちかというと。
イトイさんが言ってたコトに、
「去年の自分と今年の自分では、トータルとしては今年のほうが
ぜったいに よくなってるはずなんですよねー」
というのがありました。
それは、去年から今年、今年から来年という暦の上だけでなく、
親から子、子から孫と、
世代というものについても、同じコトが言えるのかな、なんて思いました。
そうですねー。
「自分」とか、「自分の仕事」は0から始まるワケじゃないですもんね。
何か色々な「いいもの」から「いいエキス」を吸収して、
その土台的なものが出来上がった上に、自分を構築していくワケで。
うん、やっぱり「俺は一人でここまで生きてきた」っていうのは
思い上がりなんですね。
・・・とまぁ、高2が考えても、それなりに収穫はありましたよ、と。