ネット倫理を考える改 | FDSブログ

ネット倫理を考える改

どうもこんばんは、月丸です。


リベンジマッチ。弱い自分との。


今回はネット倫理というより、

議論について。


始めに断っておきますが、

月丸はガラスチキンハートの持ち主なので、

批判されるとものっそいヘコみます。


なので、ヒートアップした議論は苦手です。

そんなアマちゃんの意見ということを考慮した上で。

ただ、2回もこんなん書くということは、

アマちゃんなりにイミがあるコトを察していただきたい。


特に読んでいただきたいことは太字にしています。あしからず。

久々に本気モードです。文章も論文形式です。


[対立は、美しくないと思う]

 議論することの真の目的は、相手の意見を否定し、

自分の意見の正しさを証明することではないと思います。

それはあくまでゲームとしてのディベートの話です。

議論そのものの本来あるべき形は、

物事の真理に辿り着くこと。

今のネットを始めとする、社会に溢れているのは、

ただの言葉の暴力の応酬です。

物事の本質が見えていない、傷つけ合いです。

まるで自己弁護。非常に格好悪いです。

小学生、それも低学年くらいの子どもに顕著に見られることですが、

よく学校で喧嘩が起きた時に先生が「どうしたの?」と聞くと、

喧嘩をした張本人2人は「こいつが悪い」、とどちらも言います。

よくよく先生が話を聞いてみると、どうにも2人の話の辻褄が合わない。

自分に都合の悪いことは事実をねじ曲げて(つまり、嘘をついて)、

自分の正しさを主張するのです。

だから、2人がどちらも同じようにその事実偽造を行うため、

話の辻褄が合わなくなるのです。

この例で端的に示されるのは、

人間は、自分に都合がいいように話を持っていくためには、

しばしば都合の悪いことを隠したり、ねじ曲げたりする、ということです。

議論が白熱すると、そのような状況に陥ることが多々あります。

自分の意見を通すことが勝つことだと認識し、そこ一点に執着してしまうので、

冷静に周囲を見渡すことができなくなってしまうのでしょう。


[議論をする人が準備すべきもの]

 議論を行う際、口の達者さよりも大事なものがあると思います。

一生懸命さだけではありません。

議論において最も大切な要素は、「やさしさ」です。

その議論で非難されたりしている人に対してだけではなく、

議論する相手に対しても、です。

議論の相手は、敵ではありません。共に真理を目指す仲間です。

仲間割れを起こしていては、高みに登りつめることなど、

まず不可能です。

相手を最大限傷つけまいとすること。

それがまず、議論をする際に、

もっとも考慮に入れるべきことであると思います。


[事なかれ主義とは]

 ここで、事なかれ主義について考えてみます。

議論をする人はしばしば、白熱しすぎた議論を収束しようとする人を

事なかれ主義者と呼びます。

事なかれ主義者とは、

私は

「本来対処すべき物事から目をそむけ、解決に向けて努力しない人」

と解釈しています。

しかし、「議論」を収束しようとする人は、

その「議論」に、空しさを感じているのだと思います。

もしお互いに傷つけ合うような口調、論調でなく、

空白や、行間から相手への理解といたわりがにじみ出ているような

議論であれば、それを抑えようとする人は出て来るはずがありません。

 日本人は学校でディベートをしないから議論が下手なのだ、

という意見を耳にしたことがあります。

しかし、それは欧米かぶれというものです。

日本には、欧米のディベートという手法を学ぶ前に、

「和を以って貴しとなす」という日本の古くからの名言をしっかりと

心に刻まなくてはなりません。

欧米のやり方は、すばらしい面を多く含んでいます。

しかし、彼らと私たちとでは、

狩猟民族と農耕民族という、根本的な違いがあるのです。

どちらの民族も今日まで子孫を残しているということは、

どちらのやり方にも、方向性は違えど、

同じだけの価値があるということだと思います。

わざわざ私たちが持っているはずの素質を手放し、

同じ価値の別物を模索するというのは、まったく無意味なことです。

平和主義が歪んで、事なかれ主義になることばかりが非難されて、

議論が歪んで、潰し合いになることが非難されていないのが、

私には不思議でなりません。


[まとめ]

 話し合おうとすることは、すばらしいことです。

社会性の獲得は、他人との接点をより深く持つことを可能とするからです。

しかし、

自分の正しさ、(これこそを自分の存在価値と思っている人が多いのですが)

を他人に認めさせるために話し合うのではありません。

全ては、自分だけでなく、

他人も共により幸せになるためにあるのです。

21世紀、ネット社会化が進んだ今日において、

今一度、私たちはそのことをしっかり認識しておかねばなりません。






さて、いかがでしたでしょうか。

というか、読んでいただけたでしょうか。

これ書いてる横から、「とんねるずのみなさんのおかげでした」が

聞こえてきてます。

つまり、コレ書くのに1時間以上かかってます。

勉強しろィ。


御意見、御感想いただけると嬉しいです。

どのくらい嬉しいかというと、

MOTHER2で「おうじゃのつるぎ」をゲットした時ぐらい嬉しいです。

ただ、手厳しいのはカンベンです。

ホント、胃が痛くなっちゃうんです、O型なのに。

どうか、反論の際は、やんわりしっかり反論してください、お願いします。


なんでそもそもこんな記事書こうかと思ったかというと、

やっぱり某サイトの議論スレにギモンを持ったからです。


以上、アマちゃんがお届けしました。

長文失礼しました。