啓蟄も過ぎたのに、秩父は7cmの雪でした。

     さぞ、能登の方々は、寒い思いと生活の不安をされて居ると思い

     ます。  地表が一瞬にして2mも持ち上がったのでは、手の打ち様

     がありません。

     せめて、春が早く来ることを祈ります。

 

     建物の被害は、地震の通り道によって大きく違います。

     直下、或いは断層の近くでしたら、諦める事しかありません。

     能登の地震でも、RC造のビルが杭から離れて横倒しになっていま

     した。  おそらく耐震規準前の、古いビルだったのでしょう。

     東日本大震災後、耐震基準が見直されてより厳しくなっています。

 

     これからお話しすることは、脱線も多いと思いますが、理解して

     いただくためと思って、気楽に聞いて下さい。  

     気ままに書きますので、何処に行くかわかりませんが・・・。

 

     一般的に古い建物は、平屋でも瓦の荷重が大きく、昔は瓦を固定

     するのに「粘土質の泥」が使われており、瓦の重さに耐えきれず

     倒壊する物が多いようです。

 

     建物の一番大切なところは、基礎です。

     昔は「地業」といいますが、土をよく搗き固めて、土台石をおきま

     した。  美和明宏さんの「ヨイトマケ」(父ちゃんのためならエ

     ンヤコラ  母ちゃんのためならエンヤコラ もひとつおまけに

     エンヤコラ・・・)の唄がありますが、家を建てるときは近所の人

     が集まって、1尺(30cm)以上の丸太や角材で、土を突きかためま

     した。 終戦後は、家計を助ける為に、おかみさん達が女人夫として

     働いていました。

     よく突き固めた地盤の上に、基礎石を据えてその上に柱を建てます。

     柱は継手で組まれており、ちょっとやそっとでは崩れません。

     基本は、お寺のように柱や梁が組み込まれ、火打や方杖等によって

     頑丈に組み込まれていました。・・・今の社寺建築のように・・・。

     今と違い、戦前は住宅でも柱は4〜5寸(120〜150cm)の材料を

     使いました。

     

     みなさんは「掘っ建て小屋」と言う言葉を知っていますか、いまでは

     死語になっているようですが、地面を掘って柱(丸太)を直接建てた

     小屋なので「掘建小屋」といいます。

     屋根や壁には、杉皮や桧の皮がよく使われたようです。 少し程度が

     よくなると下葺きに板が張られました。

     終戦直後には焼け跡に、壁や屋根に焼け残ったトタン葺きの小屋も、

     見受けられました。・・・これも掘っ建て小屋です。

 

     また、昔は杉板や桧板を短冊形にして、屋根に何層も張る方法や、茅

     や稲を屋根に積み重ねて葺く屋根も有ります。

     これは、皆さんも神社や仏閣・古い家で目にする事もあると思います。

     お芝居などで舞台が初めて使われる時、「こけら落とし」と言われま

     すが、これは「柿の板を短冊形に葺いた屋根」を「杮葺」(こけら葺

     き)と言い、この屋根の建物を初めて使うときに言われます。

     歌舞伎の舞台などで、よく使われます。

 

     本来の木造の建物は、今のように土台がなく、湿気を嫌って少し高床

     式になっていました。

     僕の子どもの頃は、玄関にも庭からも廊下に上がるにも、靴を脱ぐた

     め、大きな靴脱石がありました。

     東大寺の正倉院建立の時代から、湿気を嫌って高床式に成っています。

     例外は、玄関・蔵・長屋門などには、幾つもの小さい基礎石の上に直

     接建てられていますが・・・。

 

     今の布基礎が一般的に使われ出したのは、何時頃からでしょうか。

     古い民家では、敷石の上に直接土台を据えてある家も有りましたが、

     殆どが、シロアリや腐れによってボロボロでした。

     やはり、日本の風土にあった家は、湿気を嫌って床を高くした様です。

 

     今では、新しい家はコンクリートで布基礎を作り、空気孔もなしで空

     調の効率を上げる為、窓も小さく外気の取り入れを最小限にしている

     家もありますが、本当に健康に良いのでしょうか。

     戸建でなく、マンションにすれば良いのにと、思ってしまいます。

     

     大分横道に逸れてしまいましたが、上部の荷重と地震について書こう

     と思っていましたが、飛んだ事になりました。

     

     建物の構造種別によって、耐震方法や基準が違います。

     ここに建物の「構造種別」を描いてみます。(僕の勝手な判断です)

 

      木造建築    枠組み壁工法   ツーバイフォー工法

                       ツーバイシックス工法    

              軸組工法     在来軸組工法

                       プレカット工法

                       金物工法(ピン工法を含む)

                       伝統工法(社寺・数寄屋等)

                ラーメン構造   木質ラーメン構造

              壁式工法     CLT

                                丸太構造     ログハウス等

     

      鉄骨造     ラーメン構造   ALCなどを含む

              ブレス構造

 

      鉄筋(鉄骨)コンクリート造    ラーメン構造 

                       壁式構造

 

     などに分けられます。

     そして、各々に耐震基準が有りますが、此処で各々のの新耐震基準の

     説明は略します。

 

     建物の寿命は、30年〜50年と言われています。

     それは建てた、大工の棟梁の技量の腕にかかわります。

     大工さんの棟梁や実際施工の大工さんは、オーケストラのコンダクタ

     ーです。 土工さん・鳶さん・設備屋さん・建具屋さん・屋根やさん

     内装屋さんなどを指揮して、建物を作りあげます。

     ハウスメーカーの営業さん・設計者さんも、実際の細かい仕事まで目

     が行き渡りません。  建物を作るには腕のいい大工さんを・・・。

 

     立派に仕上がった建物でも、木造では簡単に言えば木部の「腐れ」等

     による強度の低下が建物の寿命を縮めます。

     原因は雨漏りや、不必要なひび割れが原因、無論基礎がしっかりして

     いなければ30年よりもっと早く大幅な補修工事が必要です。

     在来工法でも、昔は材料の太いものを使い継手による断面欠損も、部

     材がしっかり組み合わせていればまっく問題有りません。

     しかし、材料が細くなった(柱90x90cm)では、プレカット工法に

     より継ぎ手がしっかりと組んでいません(引っかかった程度)。

     そこでは、たくさんの金物によって補強されていますが、適材適所に

     使われなければ無意味です。

     この様な建物に、大きな地震がくれば倒壊の恐れが有ります。

     

     耐震基準では木造の場合、耐震壁の設置数や配置・金物の取付などの

     規制はありますが、震度4〜6に遭遇した建物は大幅な修理が必要です。

     たとえ傾いていない建物でも、内部で耐震壁が壊れ・継ぎ手金物の損

     傷があり、余震や次の地震で倒壊の危険があります。

     

     伊勢神宮の式年遷宮遷宮をご存じでしょうか。

     これは1300年の渡り、20年に一度、宮処を造り変えて神様に清廉な

     お祈りを戴く事を、願う事です。  しかし、宮大工の技術の伝承を          

     願っての事とも言われています。

     神社仏閣では、2〜30年に一度小規模の修理をおこない50年前後で

     大改修が行われています、   場合によっては解体しそこで内部の

     損傷した部材を取り替え、彩色も整えられます。

     創建千年を超えるお寺や神社も、こうしてなんども大修理を行なって

     現在に至ります。

 

     お寺も神社も耐震補強をしています。

     たとえば浅草の浅草寺、本堂や五重の塔の屋根は、土の重い瓦から

     軽いアルミニュームの瓦に葺き替え、内部も耐震補強しています。

     靖国神社も十数年前に解体補強、明治神宮も、いま順に耐震補強を

     しているところです。

     その他の社寺も、皆さん時期になれば大改修もしています。

 

                      (つづく)