2024年7月19日(土)トライアスロンスクールのバイクセッションで、暑さを避けるため、豊田市山間部の四ツ松町を訪れていた。

 

四ツ松町は、標高400~500m程度の場所にあり、長閑な田園風景が広がっている。足助の追分交差点から少し南に下りた橋を東に渡ってから、かなり長くて急なヒルクライムをこなさなくてはいけない。

 

しかし、たどり着けば、日影が多く適度なアップダウンがある1周4.4㎞の林間周回コースがあり、途中に天然エイドステーション「龍神の水」もある。体感温度的には下界に比べて4~6℃ほど涼しいため、夏場の暑い時期のバイク&ラントレーニングにはうってつけの場所なのである。

↑ 冷たくて美味しい「龍神の水」。不老長寿のご利益があるらしい。

 

先週の土曜日にも来ていたのだが、今週も同じコースを選択して、ここでラントレーニングを行うことにした。1周4.4㎞のコースを1周もしくは2周走るグループと、三角点をフィールドディスカバリーをするグループに分かれて、1時間後に集合!と指示を出し別れた。

 

石仏もいたるところで見かける。

↑ 庚申塔発見!
 

 ↑ 馬頭観音もあった。


↑ お地蔵さま

↑ 弘法大師さま
 

十明神社の東側の山のピークにある三角点(496.3m)は、アプリにまだスポット登録されておらず、オリエンテーラーのこがっちさんと、キラさん、ニコちゃんと自分の4人で、地図を頼りにピークハントすることに。ということで、まずは十明神社に向かう。

↑ 十明神社の鳥居

神社の鳥居をくぐると、まず目に入ってきたのは常夜灯。独特の篆書体(くずし字)で「御神燈」と書かれているようだ。


そこから本殿に上がる参道からしてすでにアドベンチャーな雰囲気!


しばらく上ると広いスペースに出た。南側にはこのエリアの神社に多い「農村舞台」があり、北側には本殿が鎮座している。山の上にある神社にしては、きれいに手入れされている感じだ。

 

さらにそこから三角点がある東の山頂までは距離にすると500m程度だが、標高でいうと100mくらい上る感じか?途中までは農作業用の道があるが、残り200mはかなり急斜面で道がなくなる。こがっちさんが、等高線を見ながら、できるだけ緩やかなコースをナビゲーションする。

 

ようやく山頂が見えてきた。そこには、とてつなく大きな巨石が鎮座していた。

↑ 東側に回ってみた。東面はこんな感じ。

 

この地域、バイクで坂を上って来る時も、田んぼに存在感のある巨石がゴロゴロとあり、そうした地質の土地だとは感じていたが、この巨石の存在感は半端ない。高さは約3m、横幅は5~6mといったところだろうか?

 

これはもしや…巨石信仰の対象であった磐座(イワクラ)ではないだろうか?…と自分の中のゴーストが囁く。そして南側に回ってみたところ、そこで驚くべきものを発見することになった。

 

 

なんと、ちょうど南に面して、大岩の下にぽっかりと「穴」が口を開けているではないか!?近づいてみると、そこには、明らかに人為的に作られたであろう「石室」が存在していた。

 

中を覗き込んでみると、間口1.5m奥行き3m位の空洞スペースとなっていた。中はとてもひんやりとしており、静謐で神聖な空気感を感じた。これは古墳なのか?はたまた縄文から受け継がれた何らかの祭祀施設(磐座)なのか??興奮を隠しきれない。

横壁は、大岩からはく離したであろう薄い自然石を規則正しく重ねて作られており、明らかに人の呪術的な意図を感じる模様となっている。これだけの大きな岩を支えるだけの圧力に耐えられる壁ではないので、おそらく、大岩の下に空洞を掘り、そこに細工を施したのだと考えられる。

 

もう一度巨石の西側に戻ってみると、西壁は上に上れるようなスロープ形状となっていた。上ってみると、上面は平らな祭壇状なっており、北側背面の壁には何か人の手が加えられたような形跡(凹み)もある。よく見てみると、祭壇の岩と、背面の壁上の岩は別の岩が組み合わさってできていることに気づいた。

↑ 中央左側上部に切り欠きのような不自然な窪みがみられる。

 

西側からみた巨石の姿。南側の丸っとした巨石と北側の屏風状の巨石の二つで構成されているように思われる。


やはりここは何らかの人為的な細工が施された祭祀場(雨乞い?太陽信仰?)で、この巨石は磐座なのではないだろうか?これだけのものが世に知られていないはずがないと、その場でネットで検索しても、それらしい情報は全く出てこなかった。まさか新発見??

 

帰って直ぐに、愛知県の巨石遺跡を網羅している中根洋治氏の『愛知発 巨石信仰』(絶版となっており、メルカリで見つけて即購入。ちなみに第3巻まで発行されている巨石マニアには垂涎の書)を開いてみた。すると…県内の磐座28「足助町四ツ松 両神の岩」の「カナヤマ石」として紹介されているではないか!ぐぬぬ…。

 

愛知県の巨石信仰研究の第一人者である中根氏によれば、終戦の頃、本土決戦に備え、御神宝を納めるために作られたものとのこと。そして西の八王子神社奥宮の笠岩と合わせて「両神(もろがみ)」と呼ばれていたとある。

 

残念ながら石室は戦時中に作られたものであったが、室町時代(1522)までここに十明神社の奥宮が祀られていたということは、更に古代からの磐座信仰の祭祀場であった可能性が高い。石室も古代から信仰の対象だったものを再利用した可能性も否定できない。

 

そして、思い出した。先週のバイクセッションの時にもこの場所に来ていたのだが、そのときにゴーシ君に「ここは神社だらけだ」と言われ、二つの異なる神社の鳥居が数百m離れて、お互いに向かい合う姿をみた時の違和感。四ツ松町の両神(もろがみ)の呼び名の由来。そして、神社の間には南北に小川が流れていた。

↑ 十明神社の対面にある「八王子神社」こちらは未調査。

 

ガッピーン!ときた。
 

カナヤマ石は明らかにその形状から陰石(女性)のイメージ。ということは、まだ見ていないが、対になるもう一方の八王子神社の奥宮「笠岩」はその名の通り陽石(男性)ということになる!まさに川を挟んでの男女神(織姫と彦星)に見立てられる七夕伝説。そう、ここは『七夕の国』(岩明均・作)だ!


現在の十明神社のご祭神は菊理姫命であるが、本来は「カナヤマ石」に妙見大菩薩を祀っていたという。今は妙見さまは本殿西の小社となっているが、この二神と西の八王子神社の祭神八柱を合わせて「十明神社」と名付けられたとも言われてもいる。


しかし、そもそも七夕伝説が中国から伝わったのは、奈良~平安時代。こ地の巨石信仰・星神信仰は、もっとずっと古くから…縄文~弥生時代から伝えられてきたものではないだろうか?

 

これはネタバレになるが…

「祭りのスケジュールと旗の順番が逆」(『七夕の国』(岩明均)より)。

 

妙見菩薩は北極星、もしくは北斗七星を神格化した仏さまである。それも「星」繋がりだ。恐らく、古くは縄文時代のアニミズム的な巨石信仰・星神信仰が元々存在した土地に、時代が下り、中国から伝来した七夕伝説が習合したのだろう。

↑ 龍渓院の妙見菩薩さま(岡崎市桑原町)
 

そして、中世室町時代になると参拝しづらい山頂から麓に祠(ご神体)をおろしたことで、徐々にそういった過去の信仰や歴史も人々の記憶から失われていったのではないだろうか?

 

このエリアの近くには、今から約1万年前の縄文時代草創期(旧石器時代)の遺跡「酒呑ジュリンナ遺跡」もあることから、古代から人の営みがあったことが証明されている。

↑ 酒呑ジュリンナ遺跡(豊田市幸海町)
 

ちなみに南東約2kmにある十明山は以前は「熊倉山」と称していたが室町時代(1532)に十明神社奥之院を移したことで改名している。こちらはまだ未調査なので次回にフィールドワークしたい。今回の思わぬ発見、まさにこれぞフィールドディスカバリー!

 

世界一古くから歴史が続く我が国には、多層的な文化とそれにまつわる魅力的な歴史、そしてまだ解き明かされていない謎がたくさんフィールドに眠っている。そんな歴史のミステリーをフィールドディスカバリーで解き明かしていく、それが自分のライフワークだ。そういうのが好きな方は、ぜひフィールドディスカバリーの世界を体験してみて欲しい!


 

ニッポンを探しに行こう。

リ日常を冒険変える!アルワールドRPG

https://fielddiscoverygame.com/

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そして、今回の考察のヒントになったのは、ちょうど今見ているDisney+にて配信中の『七夕の国』。寄生獣の岩明均原作ファンですが、実写ドラマオリジナルもありつつ、映像表現ならではの面白さもあるので、お勧めだ!

 

『七夕の国』

https://disneyplus.disney.co.jp/program/land-of-tanabata