皆さん、これを見て何か気づく点はありますか?
猿投神社の東側、少し離れた登山者用の駐車場から細い抜け道を歩いていた時に目に留まった。高さは約1.2m、直径は約45㎝程度の円柱状の石。民家の畑にぽつんと立っており、一見何の変哲もない石に見えるが…。
 
風化・摩耗しており、非常に分かりにくいが、近くでよく見てみると、何やら人為的に彫られた「窪み」が見て取れる。これは匂うぞ…と。過去にいくつか見てきた摩崖仏(岩に彫られた石仏)が摩耗した痕跡に非常によく似ている。風化の度合いからして、かなり古いものと思われる。
 
反対側にまわってみてみると…。

明らかに彫られてる跡を発見!お地蔵様?観音様?これは「石幢」だ!!

「石幢」とは六角または八角の石柱と笠からなる石造物で、唐・宋時代に中国で盛んに作られた石幢は、やがて日本にも伝わり、鎌倉時代から供養塔として信仰の対象になって造塔され、一般的に六角形のものが多いことから「六面石幢」と呼ばれることもある。
 
ということは、これも六面石幢か?六地蔵が彫られている六面石幢は過去何度か目にしたことはあるが…。横らか見ただけでは、角が摩耗してしまっており、何面あるのか?よくわからないので、上から見てみることにする。
うーん良くわからないが、六面以上ありそうな…?少なくとも八面はありそう。
しかし、いったい何体の仏様が彫られているのだろうか?4方向から撮影してみる。
 
まず縦には3段…いや非常に分かりずらいがさらに一段下にも彫られているように思えるので4段だ。そして彫られている面は、分かるところだけを数えると、6面あるので、4段×6面=24体になる。あとの2面は見る限り彫られている痕跡は認められないが、以前はあったのかもしれない。
 
となる、4段×8面で32体。更に通常の石幢は、石柱の上部に笠があり、そこに別に彫られていた可能性もある。となると、これは一石三十三観音の可能性はないだろうか?
 
通常「三十三観音」とは、「西国三十三ヶ所」「坂東三十三ヶ所」「秩父三十三ヶ所」などの観音霊場にちなんだもので、観世音菩薩を本尊として祀る三十三ケ寺を巡礼するものは功徳を得られたと信じられていた。また、三十三観音を一カ所に集め、そこをお参りすると同じ功徳が得られるとして各地に作られた「写し霊場」が各地に存在する。三河地方の山間部にはこうした三十三観音写し霊場は非常に多く見かける。
 ↑ 磐照神社前の三十三観音
 
一般的な観音像の石仏は、光背型の石に像を一体ずつ浮き彫りにしたものが多いが、一石に三十三観音を浮き彫りにしたものも存在する。全国的にも数は少なく、中部地方では美濃・伊那・三河地方に40基ほどとされている。
 ↑ 仲仙寺(豊川市)の一石三十三観音
 
 ↑ 恵那市上矢作町の一石三十三観音
 
猿投神社の八面?石幢をネットで検索してみたが、該当するものは見つからなかった。まさか新発見!?近所にて聞き込みを行ってみた。まずは猿投神社だ。
 
猿投神社の宮司さんによると、猿投神社の周りには幕末期まで、神宮寺はじめ13ほどのお寺(白鳳寺と総称される)があった。明治時代の神道指令、廃仏毀釈により、お寺はなくなり、民地となったが、そこにあったものが、場所を少し移動しながらも残されているとのこと。時代的には鎌倉~室町期のものの可能性がある!?とのこと。
 
偶然、畑の所有者の方にもお会いすることができた。そんなに大したものではなくお寺の道標的なものとのこと。以前はもう少し北側にあったらしい。豊田市教育委員会の方も調査に訪れたそうで、大事にしてくださいねと言われているそう。やはり時代的には鎌倉~室町時代とのこと。こうした石幢が作られるようになったのは江戸中期~末期が圧倒的に多い。本当だったら十分凄いけど!
 
この部分を見てみると、仏の横から何本もの細い腕のようなものが伸びている。恐らくこれは千手観音菩薩だろう。
 
ネットでは情報が得られなかったので、豊田市博物館の書庫にて情報収集。そこでついに情報を見つけることができた。それがこちらの調査報告書だ。
↑ 「龍性院庭園 総合調査報告書」(平成28年・豊田市教育委員会編)
 
「千手観音六角石幢」として掲載されていた。以下抜粋。
 
「ちなみに今回の調査で、神社境内東の猿投町瀬戸田地内に、中世まで遡る可能性のある千手観音六角石幢が見つかった。摩耗が激しく年代の特定にまでは至らなかったが、観音信仰の遺物として注目したい」
 
どうやら、平成23~27年の調査で見つかったもののようだ。自分の読みとしては、六角石幢ではなく、八角石幢、さらに三十三観音ではないかと思うのだが…。
 
更にその証拠と思われるものを発見した。それが同書に掲載されていたこちらの絵図「猿投大明神全図(模写)」である。
この絵図の元絵は寛政6年(1794)以降に書かれたものと推察されているらしいが、神仏習合時代の猿投神社の建物の配置などがわかる貴重なものだ。
 
現在の石幢がある場所は、龍性院のすぐ下、普賢院の辺りに位置する。以前はもう少し北にあったという。それらしいものがないか?目を皿にして探してみる。すると…。
あった!?龍性院の北側にある「シアウデン」「真院観音」の隣に、「三十三観音」という文字が見える。しかも、それが指しているものは石柱(石幢)のようだ。これが、この場所から少し離れた龍性院の南側に移動したのではないだろうか?
 
これが元図。わかりにくいが、石柱らしきものが描かれている。通常の三十三観音ではこれはありえないだろう。
ちなみにこの場所は、現在、猿投神社の鬼門に配置されている境外神宮寺であり、豊田市最古の現存する建築物である山中観音堂があり、平安時代に作られた千手観音菩薩立像が秘仏として祀られている。古くから観音信仰の地として、崇敬を集めてきたのだろう。
 
現在は、隣に大悲殿東昌寺というお寺があるが、こちらのお寺は近年になって建立されたお寺だ。恐らくだが、廃仏毀釈から逃れるため、その地に祀られていた象徴的な石幢を、あえてお寺の敷地内ではなく、民地に移設し、匿ってきたのではないだろうか?
 
果たしてこれは三十三観音八面石幢なのだろうか?そしていったいいつ作られたものなのか?まだまだ継続調査が必要だ。ちなみに後日、豊田市文化財課を訪ねてみたが、上記の調査報告書に書かれていること以上の情報を得ることはできなかった。
 
今回の発見は既知のものであったが、このような埋もれつつある貴重な石造文化財はまだまだ身近なフィールドに眠っている。ぜひ皆さんも、スマホ専用アプリ「フィールドディスカバリー」を使って、地域に眠る宝を見つけにいこう!

 

ニッポンを探しに行こう。日常を冒険変える!アルワールドRPG

https://fielddiscoverygame.com/

(無料ダウンロードできます)