この人誰?と聞く耳をもたないだろうが、昔むかし私が小学生の頃、学校の門で薪(まき)を背負って、朝早くから立たされていた。
 触れて見ると、冷たく固まっていた。
可哀そうにどんな悪いことをして立たされているのか、私も喧嘩(けんか)してイスをバラバラに壊して廊下によく立たされた。今に女の先生のお名前を憶えている。(ち・・・・・)とね。

半世紀(50年)も過ぎると、少しは考える事を知ったのか、あの立たされている人を見ると「勉強しなさい」と言われているように感じる。
   「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」 と誰かが言っていたが、てっきり、人は生まれながら平等だと言っていると思っていた。
 ところが、世は平等ではなく、学ぶことで平等を知ると言われた。
忙しいのに、「そんな時間など無いよ」と聞こえるが、1秒の時間もやりくりしてつくれば、案外つくれるかもしれない。1秒の時間もないって。
二宮金次郎は、それが言いたくて朝早くから、雨の日も雪の日も立っているように思った。

 二宮金次郎さんが学校からいつの間にか消えた。引き抜きがあったようだ、長年の水垢もついていた。
第二次世界大戦後、二宮尊徳さまが日本の封建制度の中で生きて来たので、民主主義の世界にふさわしくないと、撤去された。
二宮家は、小田原藩のある村の
地主だったらしいから、家は裕福だ。
父親はお人よしで、祖父がつくっ
た財産もなくし、13歳の時、父を亡
くし、15歳の時に母を亡くした。
仕方なく、伯父の家にあずけられたが、案の定厳しい状況で伯父も生活が大変なんだろう。

 私の家は兼業農家で、親父が会社員だから、私と兄が中心に農業をやった。牛と協力して、田を掘り起こし、川からポンプで水を上げ仲間の田にも水を満たした。
風呂には薪を炊き、冬には山に登って薪をつくった。山は暖かい、よくシバの間で寝た。たまには、竹を切って、野球のバットに見立て、柔らかいボールで遊んだ。
 大谷翔平さんは、グローブを日本の小学校に贈られていたが、素朴に野球が好きなんだな。純粋な心に感動した。
 学校から帰ると厳しいおばあちゃんが待ち構えていた。
 お米をつくっているのに、白いご飯を食べたことがない。収穫にはお米が沢山積みあげていたのに、8人家族では、長く持たない。
三重県の友人が言っていた。昔、三重の一部が紀州藩であった時、私の祖先が紀州茶粥を考案したと話す。
デッカイ鍋に水を満たし、水が沸騰したら番茶を茶袋に入れ、お米を1合半と一緒に煮だく、白い泡が吹いたら火を消す。これで8人家族の2食分のできあがり。すっぱい沢庵と梅干とおかず海苔があれば最高!
 騙された。鯨の肉はよく食べたが、すき焼きの肉がカシワ(鶏)の肉を食べていた。本当は牛肉だったとは
東京に来て知った。
 こんな腐ったもの食べられない。エー知らないの! これ納豆だよ。(今日から出入り禁止)
 こんな辛いおでん食べられない!
(即、出入り禁止)
西の国、東の国の違いでトラブル続出。
   二宮金次郎は、47歳の時から二宮尊徳と名乗った。人にお金を次次に貸し与えて尊敬されるのか、徳を与えて尊敬されるのを年を重ねてみつけられたのか。
お金は何処かに消えるが、徳は心がけ次第で身にもなる。
二宮さまは「尊徳」を知ったのだろう。
土にも、栄養をやらないと作物は育たない。春には田んぼ一面に赤と青のレンゲの花が咲いている。
レンゲは田の土の栄養の一部となって、土をつくる。レンゲの花が咲かないと組合から、リンの肥料を買ってきて田んぼに撒かなくてはならない。自然ってすごいね。
 「百姓には教育は必要ない。百姓のくせに」 は封建社会の階級の時代はそれでよかったのだろう。
   大人のすること、発動機を手で回してエンジンをかける。発動機と雑穀機とベルトでつなぐ。これは危険だが大人の仕事だ。

 これが出来れば、大人として扱われる。
ベルトをかけるコツはそば打ちで、手でこね空気が入らないようなコツでベルトを発動機の回転部分にかける。タイミングが違えば発動機に手が巻き込まれる。危険な仕事。
誰もが、褒められれば、うれしい。また、褒められたくて考える。貶(けな)されて発奮して成長するのは一握りだ。褒めたり、空かしたり人を見る目が要求される。

 私の故郷は山と川と海、平地はほとんどない。山に木をみかんを梅干し、柿なども名産だ。
 妻の実家は、栃木の米どころに手伝いに行ったが、私の故郷の平地無県とはちがって、どうすれば、手で田植えが出来ようと思考していたが、田植え機の登場で私の仕事は四隅の補植に終わった。
機械の方が楽なようだが使い方を見ていた。
  人間様も生きるのに飲料水が、お米作りにも大量のきれいな水が必要だ。見渡す限り田んぼ、と牧場、山に入れば開拓の余地も残っている。
 栃木の那須野ケ原の流水の地図をつくってみた。
 江戸時代から、手にすくう水もなく、農業も酪農も水に苦労したようだ。
北海道も火山灰に苦労しただろう。開拓民も入植しているが、ある時、義理の兄に案内していただいたが
永遠とつづく水の堀が那須岳から続き清らかな水が大田原方面まで伸びていた。
那須流水の確保のための土木作業は、一大事業だ。
数年前、ここに国会を持って来るような話もあった。でどうしたんだろう?
 二宮尊徳は、武士の時代に生き、百姓のくせにとさげすまれ、凶作の時も年貢を取られた。全国の村々をまわって百姓でもやりようによって富を得られることを説いて立て直しに紛争した。
二宮尊徳の手を掛けた村は、飢饉の時も一人も死人をださなかったと聞く。百姓にも教育の必要性を証明した。
 昔むかしの古いお話でした.