お父さんの田舎は、おとぎの国のようなところだ。
 海を初めて見たのが小学生の遠足だ。広―い広―い海、塩辛―い海水、こんなに塩辛ーいと台所の塩をいくらふりかけても足りない。こんなに海が大きいと、よその国には行けない。
関所は、なかったが、村ごとにガキ大将の砦(とりで)があった。
 大人の自転車を横乗りして、冒険というか海を見に行った。砦を何箇所か通過するのに御代官様にお菓子の手土産が必要だった。
港には、貨物船が横づけされており、忙しく大人が行きかっていた。赤色と青色が目に残っている。
この船に乗れば、よその国に行ける、塩の香りも漂っている。
帰りは、途中、食堂に寄って、キャベツとメリケン粉(小麦粉)だけのお好み焼きを食べた。ソースが美味しかった。帰りの関所はスムーズに帰れた。

 天気予報は、雲の動きを見て、雲が北から南に流れれば晴れだし、南から北に流れれば雨模様だ。
  山仕事で下刈カマで腕を5センチほど切り、骨も見えていた。
こともあろうに、医者は、麻酔もしないで釣り針のようなふとい針を何箇所かに刺して縫っていた。救急だから仕方なかったのか大人はとても見ていられなく処置室を後にした。
痛さを我慢していると麻痺するのか痛さも麻痺する。

 え~“! まだ生きてんの?
60年前、事故で亡くなった同級生の女の子に言われそうだ。急にそんなこといわれても、まだ、若いつもりでイル。カってな、こと言われても人間には寿命ってあってな勝手に決められない。
君は事故で60年間も知らないが、生きていれば、税務署の調査の日も、ローンの返済の日も乗り越えて来た。
「ポツンと一軒家」ではないが山奥で暮らせたらと思うが熊さんも猪さんと共存する知恵も必要だ。まして、冬場の暮らしを見ていないから、極地の営みの厳しさに判断を渋っている。

彼岸花はどうして田の畔(あぜ)に咲いている? いい香りのする花とは思わないが根が臭い。だから、モグラから米を守っている。幼い頃、提灯(ちようちん) で遊んでいたが、お墓にも咲いていた。
   井原西鶴は、知らない。私には、才覚はないのか、江戸時代、紀ノ國中津村に生れ、15歳の頃に大坂に出て、俳諧師を目出した。

鎖国が始まった元禄文化で時代で松尾芭蕉も登場する。
井原西鶴と言えば「好色一代男」女性好きの男の物語。江戸庶民の風情を詠った「浮世草子、人形浄瑠璃、俳句」の作品を残している。

西鶴は、好色物以外にも、 『日本永代蔵』 や 『世間胸算用』 といった作品も有名だ。やっぱり庶民文化はいいよなあ。中津村の誰も知らないおとぎの人の話。
 残っいるよ、井原西鶴生誕の地は、私のおとぎの人だ。
おとぎの国、中津村は、今は、市町村合併で「日高川町」に変わっている。

 おとぎの話と言えば、中津村を流れる日高川がある。日高川をしばらく下り、道成寺のお寺さんがある。  
昔むかし、あるところに、それはそれは可愛い清姫がいた。その清姫が岩手県の若いイケメンのお坊さん、安珍に一目惚れをした。
安珍は修行の身であり、迫りくる清姫から逃れるため若い清姫に噓をつく。(那智権現大社にお参りした帰りに清姫の元に来るから)

こともあろうに安珍は帰り道を変更して帰路についた。(おのれ安珍うらぎったな)、安珍は日高川を下り、道成寺の釣鐘の中に隠れるも、恐ろしい蛇になって追ってきた清姫に焼き殺される。という平安時代のおとぎの話。
その後、清姫は入水自殺したとか諸説あるがおとぎ話だから定かでない。

 宝塚出身の音楽の先生の影響でシャンソン歌手なった。故、日高なみ 「ろくでなし」の歌が、似合う人だ。宝塚は、大人数でダンスを揃えて見せる。当時、「すみれの花咲くころ」の歌はよく使われていた。
おとぎの時代、東京銀座の銀巴里でシャンソンを聞いた。津軽なまりで歌う人、日本人のフランス人らしき方が歌う人、クラシックの発生でシャンソンを歌われる人もいた。丸山明弘さんの歌も聞いた。
表現は自由で私のようなド素人がとやかくいう資格はないが、お一人、お一人の「間」が違って聞こえた。
宝塚での大人数のダンスと合わせるのが無理だろう。と感じたが、さすが、プロフェッショナル選曲も歌い方も変えた。
誰かが、言われていた。「歌は詩のように、詩は歌のように」

「感情を歌に入り込みすぎないように」 これは私のおとぎ話だろうか。