木のレールで、その上を木の車輪をつけた箱をのせ、それを人や馬で引いた。そのうち、鉄のレール、鉄の車輪に変わった。

 子供の頃、川が氾濫するので、堤防を補強するため、土や石を運ぶのにトロッコが使われたので河原にトロッコが錆びて置かれていた。
 レールの上をトロッコを押す感触は、重厚で重い荷物でも軽々と運べた。

 蒸気といえば、鍋の重い蓋(ふた)を沸騰したお湯が蒸気になって、軽々もちあげていた。


  50年以上前だろうか、東京に来るときに、大坂の梅田駅の停車場で白い蒸気をはいて夜空に汽笛が鳴り響いた。
汽笛も笛と同じく人間の口で吹くのとおなじように蒸気で汽笛を吹いているんだろうと思いつつ聞いていた。汽笛は都会の音のようで悲しかった。

その頃は、新幹線は開通していたが蒸気機関車で12時間もかかって東京に来た。

シュシュポッポと蒸気機関車が石炭を燃やして、トンネルの中も上り坂でも頑張って走っていた。
機関車の床に新聞紙を敷いて、力強い蒸気の音を聞きながら寝ていた。

 昔は、木のレール、木の車輪と書いてあったが、木づくりだと汽車の重さにたえられないだろう。

 日本では、明治になって新橋・横浜間に鉄道を敷かれた。鉄道唱歌も聞いた。文明開化の音がする。

  ホームでは、駅弁とお茶が楽しみだった。べんと~弁当売りのおじさんの声が・・

 ところで、彼の父は、炭鉱の坑内に湧き出た水を外にくみ出す蒸気機関のかまたきでしたのでジョージ・スチーブンソンはイングランドの土木技術者、機械技術者。蒸気機関車を使った公共鉄道の実用化に成功した。

  「鉄道の父」と呼ばれており、彼が採用した1,435 mmという軌間は「スチーブンソンゲージ」とも呼ばれ、世界中の標準軌となっている。

蒸気機関車は、人のぬくもりを感じる。車窓から、貝塚(大森貝塚)も発見できるかも。
塚はお墓のことだろうと思っていた。貝は生き物で縄文人が海の貝を食べていたにちがいない。大森は海だったのか。そんなことも考えさせられる。
蒸気機関車は、当時にしたら、時速40キロだったらしいが、はやかったようだ。
現在の新幹線とは比べようもないが、リニアにかわると、また速くなる。

 蒸気船も走っていたのだろうな。スチーブンソンとは蒸気のお名前だ、スチームとな。

歌にもあった。リバプールとマンチェスターの間に、ロケット号走らせた。今や、世界に網の目のように鉄道が走っている。

父親の影響でスチーブンソンは、蒸気機関車と、67年の生涯を閉じた。