
イギリスの恵まれたお城に住み、そこのお嬢様がナイチンゲールのようだ。200年ほどの前の1920年に生まれた。
ナイチンゲールはイギリスの看護師であり、世界初の看護学校の設立に貢献した。
ところが、働き続けた寒い冬がすぎるころ、とうとう病気で倒れてしまいました。
ただ、学校の勉強は、責任感の強い看護婦を育てるために、大変きびしいものだったそうでした。
「看護婦という仕事に、誇りを持てるようにならなければなりません」
この教えを守った生徒たちは、学校を卒業し一人残らず優秀な看護婦になり、看護婦という仕事の大切さと立派さを、世界じゅうの人々に認めさせました。
陸軍病院も徐々に改革され、傷病兵も人間らしい治療や療養が受けられるようになった。
1853年から1856年の間に行われた「クリミア戦争」でナイチンゲールと看護婦団の働きにより死亡者数が大幅に減らされたと言われています。
クリミア戦争での献身的な英国軍の兵士たちへの看護で、「恵みの天使」として、後の赤十字の創立にも影響を与えた。
多くの人が自分の為にだけ生きようとするのに必死なのに、人のために手をさしのべる尊さを教えられた。
お城のお嬢様で居られたのに、あたたかい家庭も、結婚さえもすてて病人の看護に生涯をささげたナイチンゲールは、1910年90歳で亡くなられた。
クリミア戦争
1853年から1856年の間、クリミア半島などを舞台として行われた戦争である[1]。
フランス・オスマン帝国・イギリスを中心とした同盟軍と、ロシアとが戦い。
その戦闘地域はドナウ川周辺、クリミア半島、さらにはカムチャツカ半島にまでおよんだ、近代史上稀にみる大規模な戦争であった。
オスマン帝国の弱体化に乗じ、黒海から地中海・中近東方面への南下政策を強めるロシアに対し、イギリスとフランスが警戒した。
戦争の原因は、東方への勢力拡大をねらう列強、すなわちロシア、イギリス、フランスの三国の利害が対立したことにある。19世紀前半のウィーン体制的列強バランスが崩壊したことを意味している。