
不可能という言葉は、愚か者には妄想。臆病者には逃げ口上、権力者には自ら無能を語る言葉である。
誰だと思ったら幼いころ世界史で習ったらしいがお名前はおぼえている。
高級ウイスキーのナポレオンは知っているが私がお恥ずかしいが、71歳になってどんな人となりかを知った。
1769年に地中海に浮かぶコルシカ島にナポレオンが生まれた。
イタリア領だったのにフランスに併合されて、本人はイタリア人なのにフランス人と呼ばれるのに抵抗があった。
その名はナポレオン・ボナパルトと世界的に有名人だ。
彼は、イタリア、派遣軍の総司令官として、フランス革命1793年、国王ルイ・16世と王妃マリー・アントワネットの処刑で4年に渡ったフランス革命の終わりをつげた。
途端に革命による王政打倒の思想がヨーロッパ全土に広がるのを恐れた、英国、プロイセン(ベルギーとオーストリア)らがフランスに戦いを挑んできた。
弱い素人のフランス軍に、さっそうと登場したのがナポレオンだ。
ナポレオンはフランスの士官学校にも行き成績優秀だったらしい。大砲の弾がどれほど飛び何処に落ちるのか計算もして、ことごとく敵陣を攻略した。
作戦にもひいでたようだ。
ナポレオンは独裁軍事政権を樹立し、ヨーロッパの大半を支配した。
アルプス山脈を越し、寒い寒いロシアにも進出して、今話題のウクライナ軍の撤退焦土作戦の罠に若い兵士50万人も失った。
フランスと英国は仲も悪く、ドーバー海峡には英国海軍が控えておりナポレオンはエジプトを攻め英国とインドとの航行を遮断しようとするが英国海軍にはかてなかった。
ナポレオンはエジプトとトルコオスマン帝国を戦わせるために、エジプトとオスマンの国歌が同じなのはおかしい。と持ち掛け両国が戦争になったと聞いた。そんな些細なことでもナポレオンは気づいていた。
独裁者ナポレオンの末路は45歳にして南大西洋のセントヘレナ(小さな島)に追放され、51歳で没した。
彼の言葉が残っている。
「没落の原因は、自分以外のなにものでもない、自分こそ身の大敵であり、身の不幸の作り手であった」
やあ~! 日本は島国でよかった。ヨーロッパは陸続きで複雑で、昔は同盟だったのに、今は敵というのが当たり前で、何世・何世と言い出した時点で投げ出したくなる。
R国とU国の戦いを知るのに歴史をさかのぼらないと理解できない。
ここから新しい人間。ここまで
古い人間と線でもひけたらいいのだか人間は考える葦、人間だものめんどうだ。
ナポレオンは偉大な征服者としての顔を見てきたが、母は偉大でナポレオンを育てた。
歴史は表裏なもので、己が見極
めるものだろう。
誰もが東を目出すのに海を交通路を目出したが、シルクロードなどの陸路を進めばいいのに、オスマン帝国が、モンゴルがいたから、ネパール山脈の高い山があったから。
バカと言われればごもっともだが、私が60歳過ぎて気づいた。
ばかだねえ!