現在のように郵便制度とか宅急便制度がなかった時代は人の足でその役割を担った。

朝廷が幕府が諸大名に対する書状もあるだろうし、諸大名間の書状もある。現代であればインターネットで簡単に済ませるが古くは鎌倉時代に飛脚という職業が現れたのだろうが、平安時代の恋文の配達もその役目を果たしたのだろう。戦国時代はどうだったのだろう。

 江戸時代に飛脚が正式に現れ、

江戸‐鎌倉―小田原-尾張―京都―大阪と東海道を起点に活躍した。   

 

荷物も扱い、コメ相場の情報もいち早く知りたいだろうから飛脚料高くも儲かったようだ。

 

儲かればいつの世も他業種が参入してくる。公正取引所のなかった時代、後に舟の利用もあった。飛脚の値段も上下したようだ。

明治になってイギリスの郵政制度が影響で260年も続いた飛脚はなくなった。

東京から東海道の宿駅があった鶴見(川崎宿)、戸塚(戸塚宿)、平塚(平塚宿)、小田原(小田原宿)で引継ぎ、箱根町郵便局(箱根関所)まで、飛脚一人で走ると時間がかかるので各駅に走手を控えさせ駅伝で目的地に向かった。

 

書状はタスキを引き継いで芦ノ湖の箱根町郵便局に届け、江戸に戻るのが速いか各大学の思いを背負って競っている。

 

東京大手町―鶴見―戸塚―平塚―小田原―芦ノ湖-小田原―平塚―戸塚―鶴見―東京大手町

10区10名のマラソンランナーで競う。

「箱根の山は天下の剣」と幼い頃歌った。

私は西の国にうまれたので、箱根の山を越さなくては江戸を知ることはできない。和歌山紀ノ國でも熊野古道も最近世界遺産に登録されたが箱根の山ほど険しくもないようだ。   

 

箱根の山には山賊でもお化けでも出るのか、木々は霧に生い茂り昼間でも薄暗く芦ノ湖から小田原までは猿すべりの急な下り坂で反対は険しい上り坂になっている。

 

 箱根駅伝とは過酷である。箱根登山と変えた方が決してマラソンとは言えない。

私も中学時代3年間、駅伝選手だったが小田原から芦ノ湖への上りコースはまさしく登山で前傾みで地面に顔を付けて走るようだ。

反対に下りは、飛ぶように走るが道がフラットになると急に足が動かなくなる。監督は走れというが、自分の足が他人の足になっているのに、足を動かせるだろうか。

 

「箱根の山は天下の剣」というが箱根を制する者は己を制するだろう。

 

ある監督はいう、先頭と3分30秒差以内なら先頭に追い付けると言い張った。くやしいが情報戦だ。

平坦な路で3分30秒も差を付けられると敵は見えないし、完敗ムードだ。敵は祝杯の準備で湧いている。テーブルをひっくり返す行為は不可能だ。

「箱根の山は天下の剣」箱根の山の神が牙をむく。

箱根の山の神は君だったのか!

 

   いつの世も勝ち負けは付き物

 

箱根駅伝は「陸上の父」と呼ばれた

金栗四三というお人がオリンピックで日本人を強くするには長距離マラソン選手を育成することだとはじめられたと聞く、1920年の頃。マラソン選手も過去何人かメダリストを生んだ。大リーグでは何十人も活躍しておられる。

日本人の体格は、外国の方に負けない。一昔は、明かに日本人は子供にみえた。1試合に3本も、ホームラン打つ日本人が現れるとはもう誰と比較する世界でもないだろう。

 

爺ちゃんも婆ちゃんも、中年の兄ちゃんも、二十歳の青年も、未熟児な若者も、スタートした時が新しい命の芽生えだ。草葉の影で何億年もおとなしく寝たくもないだろう。

 

来年の箱根の山の神は何を教えてくれるのだろう。